命の主は死ぬことを選ぶ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ18:3 ユダは一隊の兵卒と、祭司長たちやパリサイ人から遣わされた下役 たちを引き連れ、たいまつ、ともし火、武器を携えてそこにやって来た。(4節)イ エスは、ご自分に臨もうとしているすべての事を知り、進み出て、「だれを捜 しているのか?」と彼らに言われた。(5節)彼らはイエスに、「ナザレ人イエス を」と言った。イエスは彼らに、「わたしである」と言われた。彼を裏切ろうと していたユダも、彼らと一緒に立っていた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主は進んで大胆にご自身を渡して、喜んで死の中へ入って行かれました。ヨハネ による福音書第10章で、主はわたしたちのために目的をもってご自身の命を捨て ると言われました。彼は命の主であり、彼は命です。彼は死ぬ権威を持っており、 復活させられる権威を持っておられます。彼は自ら進んで死の中へ入って行き、 そして死から出て来られました。彼には死の問題はありません。ですから、彼が 死ぬことは不必要でした。しかしながら、わたしたちにとって、死は選択する事 柄ではありません。わたしたちには、死を拒む力も権威もありません。死が来る と、みなそれに征服されなければなりません。しかし、主にとっては、そうであ りませんでした。なぜなら、彼は命の主であり、命そのものであるからです。 彼は死ぬことを強制されたのではないのですが、自ら進んで死なれました。なぜ なら、彼が来られたのは、ご自身を命としてわたしたちに分け与えるためであっ たからです。彼は、ただ死を通してのみ、ご自身を命としてわたしたちの中へ解 き放すことができることを知っておられました。事実、主はすでに、ご自身が一 粒の麦であって、地に落ちて死ぬことになっていると言っておられました(12:24)。 もし一粒の麦が自ら進んで死なないなら、どうしてそれはその命を解き放し、多 くの麦粒を生み出すことができるでしょうか? ヨハネによる福音書第18章と第 19章でわたしたちは、主イエスが死ぬことをとても喜んでおられたことをはっき りと見ます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996)年版から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・ヨハネによる福音書(二)」(1996 年版)メッセージ第42編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。