祈りが先か、それとも聖書を読むことが先か? ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 詩篇119:147 私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち 望んでいます。(148節)私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに 思いを潜めます。(新改訳) ヨハネ15:7 あなたがわたしの中に住んでおり、わたしの言葉があなたがたの中 に住んでいるなら、何でも望むものを求めなさい。そうすれば、それはあなたが たにかなえられる。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 兄弟姉妹よ、御言葉を正しく読むことには、必ず祈りが伴います。そして正しい 祈りは、必ず御言葉を読むことから出てきます。なおまた、両者のどちらが先で なければならないかを決めることもできません。それらは手に手を取り合って進 まなければなりません。わたしたちはヨハネによる福音書第15章7節の主の言葉 を読むとき、まず御言葉を読み、それから祈るべきであるように思われます。し かし、詩篇第119篇では、御言葉を読む前に祈りが来ることを示しているようで す。こういうわけで、これら二つの問題について厳格な決定をすることは必ずし も必要ではありません。あなたはそれらを自然に進めさえすればよいのです。 人々はしばしばわたしに問いました、「リー兄弟、モーニング・ウォッチの時に、 聖書をまず読んでそれから祈るのと、まず祈ってから聖書を読むのとでは、どち らがよいでしょうか?」。これは答えにくいことです。わたしは長年生きてきま したが、この日になっても、わたしが歩く場合、右足で踏み出すべきか左足で踏 み出すべきか、依然として確かではないのです。わたしたちは歩く時はいつも、 まず右足か左足かを顧慮することなく自然にそうするまでです。どうか覚えてお いてください。あなたが主の御前で毎朝、まず読んでから祈るのか、またはその 反対かを決めることも、不必要です。主の御前では、ただ普通のままでいてくだ さい。ある時は、朝起きたらまず二、三句祈って、そらから聖書を読むことでし ょう。しかしある時は、御言葉を開いて二、三句読みたいという内なる願いを持 つかもしれません。読むことに続いて、感覚がやって来て、あなたは祈り始める かもしれません。これら二つの事は、たいてい同じ回数起こり、また同じ長さの 時間起こります。 例証のため、ミュラー兄弟のことを引用しましょう。彼は英国で孤児院を運営し た人でした。彼は前世紀において、祈りまた読み、読みまた祈った人でした。そ の自叙伝の中で彼は、毎朝、時間を費やして神に近づいたことを告げています。 その時間、彼は御言葉を読むだけであったのではなく、また祈っているだけであ ったと言うこともできません。彼は毎朝、主の御前に出て、読むことと祈ること の両方に等しく注意を払い、両方のバランスを保ちました。彼は聖書を理解する ために彼の思いを用い、御言葉に接するために彼の霊を活用した人でした。さら にまた彼は、読むことと祈ることを組み合わせた人でもありました。こういうわ けで、彼は極めて生き生きして新鮮であると同時に、主の御前で安定しており堅 固でした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「祈りの学課」(1984年版)の第一章から引用されています。 いずれも日本福音書房から出版されています。