神のみこころにしたがって祈る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ15:7 あなたがたがわたしの中に住んでおり、わたしの言葉があなたがた の中に住んでいるなら、何でも望むものを求めなさい。そうすれば、それはあな たがたにかなえられる。 マタイ6:7 また祈る時、異邦人がするように、むなしい言葉を繰り返してはな らない。彼らは、言葉数が多ければ聞かれると思っている。(8節)だから、彼ら のようであってはならない。なぜなら、あなたがたの父は、あなたがたが求める 前から、あなたがたに必要なものを知っておられるからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 信者たちは欠乏がある時、まずこのような欠乏が神に影響を与えるかどうかを問 うべきです。彼らにこのような欠乏があるように定めておられるのは、神でしょ うか? それとも、彼らが供給されることが、神のみこころなのでしょうか?  自分の必要が供給されることが神のみこころであることを見たのなら、神にご自 身のみこころを達成してくださるよう祈ることができます。現在の問題は、あな たに欠乏があるかどうかや、あなたが供給される必要があるかどうかではなく、 神のみこころが達成されるかどうかということです。あなたの祈りは以前と同じ かもしれませんが、あなたが注意していることは、神のみこころがその事柄にお いて達成されることであり、あなた自身の必要が満たされることではありません。 多くの人の失敗はここにあります。つまり、信者たちは、自分自身の必要が優先 すると考えています。神のみこころは、自分たちの必要を供給することであるこ とを理解した後でさえも、彼らは依然として自分自身の必要のために祈ることば かり考えているのです。 わたしたちの必要は、神のみこころの中で失われなければなりません。必要が満 たされることを直接求める祈りは、決して最も高尚な祈りではありません。個人 的な必要を求める祈りはすべて、神のみこころの達成を求めながら、間接的にの みなされるべきです。これが祈りの秘訣であり、これが祈りにおいて勝利を得る 秘訣です。 神の目的は、わたしたちが神のみこころで満たされ、そのために自分自身の関心 事を忘れることです。神は、わたしたちが神と共に働き、神のみこころを達成す ることを求められます。神と共に働く方法は、祈ることです。こういうわけで神 は、わたしたちが神の中に住み、さまざまな事柄において神のみこころを学び、 それから神のみこころにしたがって求めることを願われます。今日、神が求めて おられることは、神の子供たちが進んで神のみこころと一つになり、祈りを通し てこのような結合を宣言することです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第八巻「現在の証し(一)」(1995年版) 第一号「祈りと は何か」から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。