神はわたしたちが門をたたくのを待っておられる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ7:7 求めよ、そうすれば、与えられる。捜せ、そうすれば、見いだす。 門をたたけ、そうすれば、開かれる。(8節)すべて求める者は受け、捜す者は見 いだし、門をたたく者には開かれるからである。 ヤコブ4:2 ……あなたがたが得ることがないのは、求めないからです。(3節)求 めても得られないのは、自分の快楽のために費やそうとして、悪い求め方をする からです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 祈りは、霊的な領域の中で最もすばらしい行為であり、また最も奥義的な事柄で もあります。神はご自身のみこころに反することを行なわないことを、わたした ちは知っています。もし門を開くのが彼のみこころであるなら、なぜ彼は、わた したちが門をたたいてはじめて門を開かれるのでしょうか? なぜ彼は、わたし たちが門をたたかなければ、彼のみこころにしたがってわたしたちのために門を 開いてくださらないのでしょうか? 彼はすべてのことを知っておられます。わ たしたちが開かれた門を必要とすることを、彼が知っておられるなら、なぜ彼は、 わたしたちが門をたたいてはじめて門を開かれるのでしょうか? なぜわたした ちは門をたたかなければならないのでしょうか? 神のみこころは門を開くこと であるのに、また門を開くことは彼のみこころであるのに、わたしたちが門をた たかないのであれば、神は門を開かれないのでしょうか? 彼はわたしたちの祈 りを待つという目的だけのために、ご自身のみこころと正義を遅らせ、達成され ないままにされるのでしょうか? もしそうであるなら、神のみこころはわたしたちによって制限されているのです! もし彼がそれを達成されるのであるなら、門を開くこと(神のみこころ)は、な ぜわたしたちの門をたたくこと(祈り)によって支配されなければならないので しょうか? ここにわたしたちは、神の働きの原則を見ることができます。この 原則とは、神が立ち上がって働かれる前に、神の民が祈らなければならないとい うことです。神のみこころは、神に属する者たちの祈りによって達成されます。 信者たちの祈りが神のみこころを達成します。神は単独でご自身のみこころを達 成しようとはされません。神は、その民が祈りの中でご自身に同意する時にのみ、 ご自身のみこころを達成されます。 もしこうであるなら、祈りとは、信者たちが神と共に働くという行為にほかなり ません。祈りとは、信者たちの意志と神のみこころとの結合です。地上の信者た ちの祈りは、天におられる神のみこころを語り出すことです。祈りとは、わたし たち自身の願いを語り出すことや、神に嘆願してわたしたちの叫びを聞いていた だき、わたしたち自身の願いを成就していただくことでもありません。祈りとは、 力ずくで神のみこころを変えるよう神に強いることではなく、あるいは神が行な いたくないことを行なっていただくよう神に求めることでもありません。祈りと は、信者たちが自分自身の口から神のみこころを語り出すことであり、神がご自 身のみこころを達成されるようにと求める、神の御前での信者たちの要求です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第8巻「現在の証し(一)」(1995年版)第1号「祈りとは何 か」から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。