四枚の絵……一枚は明るく、三枚は暗い ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ2:5 キリスト・イエス……(6節)この方は、神の形の中に存在されますが、 神と等しくあるのを固守すべき尊いこととは見なさず、(7節)かえってご自身を むなしくし、奴隷の形を取り、人の姿になられて、(8節)人としての有り様で見 いだされ、ご自身を低くして、死にまでも、しかも十字架の死に至るまでも従順 になられました。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ルカによる福音書第22章47節から第23章25節において、わたしたちは四枚の絵に 印象づけられる必要があります。第一の絵は、人・救い主の肖像画、神・人の肖 像画です。彼の周りを取り巻いている人物たちのゆえに、人・救い主の肖像画は 非常にはっきりしています。この肖像画においてわたしたちは、神・人を見るこ とができます。すなわち、完全で、威厳があり、神聖な輝きと人性の美徳で満ち ている方を見ることができます。ルカによって提示された、人・救い主の逮捕か ら、ピラトによって死刑が宣告されるまでの絵を考えるとき、完全で全体的な神 ・人としての主イエスの肖像画を見ることができます。主イエスは、真の神また 実際の人として描かれています。この神・人は捕らえられ、嘲笑され、冒とくさ れ、軽蔑され、裁かれました。しかし、彼はこれらすべてを通過した時、最高水 準の道徳を持っている方として、人性の美徳と共に、すべてを超越する神聖な輝 きを持っている方として、完全に描写されました。ここでわたしたちは、人・救 い主の神聖な特質を見るだけでなく、彼の神聖な輝きも見ます。この方において わたしたちは、真の神と正しい人を見ます。彼には、自分が死のうとしていた罪 人たちの身代わりとなる完全な資格がありました。 ルカのこの部分で見る第二の絵は、人・救い主の追従者たちの絵です。わたした ちがこの絵において見ることから、十一人の弟子たち、特にペテロ、ヨハネ、ヤ コブは、彼らの天然の命において全く信用できないことがわかります。十一人は 全く天然的でした。彼らは霊を持っていないかのように行動しました。例えば、 ペテロは決して主を否まないと言いました。剣を取り上げて大祭司の奴隷の耳を 切り落としたのは彼でした。三度、主を否んだのは彼でした。ここには、わたし たちみなが天然の命においてはどのようであるかの絵があるのです。 三枚目の絵は、宗教的な人々の絵です。彼らは虚偽と欺きと見せかけで満ちてい ました。彼らは神を礼拝し、神について人々に教え、見たところは十戒を守るこ とに努めました。しかし彼らは、日中ではなく夜に、公の場所ではなく人目に付 かない場所で、主を逮捕しました。実は、彼らが主を捕らえたのではありません。 主がご自身を渡して、彼らに捕らえられるようにしたのです。この宗教的な人々 については、虚偽と欺きのほか何も見られません。最後に、ローマ政府とその支 配者たちの絵があります。これらローマの支配者たちには、何の正義もありませ んでした。この絵には、ローマの政治の暗やみと腐敗が見られます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(四)」(1988年版)メッセ ージ51から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。