傷のない過越の小羊であるイエス ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント5:7 あなたがたは新しい練り粉のかたまりとなるために、古いパン 種を一掃しなさい。あなたがたは確かに、パン種のない者です。というのは、わ たしたちの過越であるキリストが、供え物としてほふられたからです。 ヨハネ1:29 その翌日、ヨハネはイエスが自分の所に来られるのを見て言った、 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊!」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 予表では、過越の小羊は殺される前の四日間調べられました(出エジプト12:3-6)。 人・救い主は実際の過越の小羊として(1コリント5:7)、殺される前にやはり四 日間調べられました。彼は過越の六日前にベタニヤに来られました(ヨハネ12:1)。 次の日、彼はエルサレムに入られ、またベタニヤに戻られました(ヨハネ12:12)。 三日目に、彼は再びエルサレムにやって来られました。そしてユダヤ人の律法に 従い、ユダヤ人の指導者たちによって、またローマ人の律法に従いローマの総督 ピラトによって取り調べを受け始められ、彼が十字架につけられた過越の日にま で至りました(マルコ14:12、ヨハネ18:28)。この危険で、わなにかけようとする 多くの角度からの取り調べは、正確に四日間かかりました。人・救い主はこのテ ストに合格されました。そして、彼がその贖いの達成のために神によって要求さ れた小羊となるべき十分な資格のあることが証明されました。それによって神は、 ユダヤ人たちと異邦人たちいずれの罪人たちをも過越し得るのでした。 出エジプト記第12章によれば、それぞれの家族は過越のために傷のない小羊一頭 を取るべきでした。主イエスは人類のために死ぬよう定められた過越の小羊であ ったと言ってよいでしょう。旧約では、その小羊は傷がないかどうかを確定する ために、調べられなければなりませんでした。ルカによる福音書第20章では、祭 司長たち、聖書学者たち、長老たち、パリサイ人たち、サドカイ人たちが実際の 過越の小羊を調べていました。しかし彼らは、自分たちの調べていたその方が、 彼らのために死ぬべき神の備えられた小羊であることを認識していませんでした。 この小羊は最高水準の道徳を持っておられました。出エジプト記第12章の言葉で は、彼には傷がありませんでした。すなわち、彼は全く完全であり、欠点がなく、 しみもありませんでした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(四)」(1988年版)メッセ ージ46から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。