キリストは質問の中の質問である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ20:40 彼らはもはや、あえて何も尋ねようとしなかった。(41節)イエスは 彼らに言われた、「人々はどうして、キリストはダビデの子であると言うのか?  (42節)ダビデ自身が詩篇の中で言っている、『主はわたしの主に言われた、わ たしの右に座していなさい。(43節)わたしがあなたの敵を、あなたの足の足台と するまで』。(44節)ダビデが彼を主と呼んでいるのに、どうして彼はダビデの子 であるだろうか?」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 第20章1節から38節で主は、陰険な質問をすることによって彼をわなにかけようと する祭司長たち、長老たち、パリサイ人たち、ヘロデ党の人たち、サドカイ人た ちによって囲まれていました。まず、ユダヤ宗教の権威とユダヤ人の権威を代表 する祭司長、聖書学者、長老たちが、彼の権威について彼に尋ねました(2節)。 これは、彼らの宗教的な観念にしたがった質問でした。第二に、根本主義的なパ リサイ人たちと政治的なヘロデ党の者たちが、政治に関して彼に質問をしました。 第三に、サドカイ人たちが、復活について彼に質問しました。彼らのすべての質 問に賢明に答えられた後、主は彼らにキリストに関する質問をされました。これ は質問の中の質問です。彼らの質問は、宗教、政治、信仰に関するものでした。 主の質問はキリストに関するものであり、キリストはすべての事柄の中心です。 彼らは宗教、政治、信仰を知っていました。しかし彼らは、キリストには何の注 意も払っていませんでした。 41節から44節にかけて主は、テストするたちに言われました、「人々はどうして、 キリストはダビデの子であると言うのか? ダビデ自身が詩篇の中で言っている、 『主はわたしの主に言われた、わたしの右に座していなさい。わたしがあなたの 敵をあなたの足の足台とするまで』。ダビデが彼を主と呼んでいるのに、どうし て彼はダビデの子であるだろうか?」。キリストは彼の神性において神として、 ダビデの主です。キリストは彼の人性において人として、ダビデの子です。彼を テストした者たちは、キリストという方に関する聖書の知識を半分しか持ってい ませんでした。すなわち、彼はその人性によればダビデの子であるということだ けです。彼らは、神の子としてのキリストの神性についてのもう半分の知識を持っ ていませんでした。第20章41節から44節における主の意図は、彼らが質問してい るその方が実は主であることを、テストする者たちが見るよう助けるためでした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(四)」(1988年版)メッセ ージ46から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。