彼の死を通して真の宮を清める(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント3:16 あなたがたは神の宮であって、神の霊があなたがたの中に宿っ ておられることを、知らないのですか? 2コリント6:16 神の宮と偶像とに何の一致があるでしょうか? わたしたちは 生ける神の宮なのです。それは神が言われたとおりです、「わたしは彼らの間に 住み、彼らの間を歩こう。そしてわたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民と なる」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) わたしは若かったころ、主がエルサレムに入って宮を清められたことだけを知っ ていました。これらの事柄の意義を知りませんでした。今やわたしは強く宣言す ることができます。主の実際の関心は宮を顧みることでした。彼は十二歳の時、 宮の中で見いだされました(ルカ2:46)。また彼が三十歳の時に務めをするため出 てこられた時、彼は宮を清められました(ヨハネ2:14-16)。彼は御父の関心事に 心を配っておられたので、自分の両親に言われました、「わたしがわたしの父の 家にいなければならないのを、ご存じなかったのですか?」(ルカ2:49)。これは、 彼が宮を顧みられたこと、すなわち彼の永遠のエコノミーにしたがって彼の選ば れた者たちから構成された神の住まいを顧みられたことを示します。ですから、 宮は神のエコノミーの中心点、焦点です。主は十二歳であった時に、また彼が三 十歳で務めを開始された時に、また彼が地上の務めの終わりに至った時に、この ことに関心を持たれました。人・救い主はエルサレムに入られ、ご自身をすべて を含むささげ物として神にささげられました。しかし、このようにしてご自身を ささげる前に、彼はもう一度、彼の御父の権益のために、御父の住まいのために、 彼の関心を表現されました。 弟子たちとは対照的に、主イエスはご自身のために王国を得ることに関心があり ませんでした。彼の唯一の関心は、神の民が神の住まいとなることでした。新約 の完全な啓示によれば、主がエルサレムへと入られる際の関心事は、神の住まい のために清められた宮を生み出することでした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(四)」(1988年版)メッセ ージ44から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。