不義なマモンをささげることにおける賢明さ(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ16:1 また、イエスは弟子たちに言われた、「ある金持ちに一人の家令がい た。この者が、主人の財産を浪費しているとの告げ口があった。(3節)その家令 は心の内で言った、『どうしよう? 主人がわたしから家令職を取り上げようと している。土を掘るだけの力はないし、物ごいをするのは恥ずかしい。(4節)わか った、こうしよう。そうすれば、わたしが家令職をやめさせられても、人はわた しを彼らの家に受け入れてくれるだろう』。(5節)そこで彼は、主人の負債者た ちを一人一人呼んで、最初の者に、『あなたはわたしの主人にいくら借りがあり ますか?』と言った。(6節)その人は、『油百バテ』と言った。彼はその人に、 『あなたの借用書を取り、すぐに座って五十と書きなさい』と言った。(7節)ま た別の者に、『あなたはいくら借りがありますか?』と言った。その人は、『小 麦百コル』と言った。彼はその人に、『あなたの借用書を取り、八十と書きなさ い』と言った。(8節)主人は、その不義な家令が賢明に振る舞ったので彼をほめ た。なぜなら、この時代の子たちは、自分の世代に対して光の子たちよりも賢明 だからである。(9節)わたしはまたあなたがたに言う、不義のマモンによって、 自分のために友人をつくりなさい。そうすれば、それが役に立たなくなった時、 彼らはあなたがたを、永遠の幕屋へ迎え入れてくれる」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) ある家令の賢明さについてのたとえは、単純簡潔です。それにもかかわらず、こ のたとえは当惑させる点を一つ含んでいます。これは、神の家の執事の奉仕を例 証するために主が用いられる不義な家令です。……これは主がわたしたちに、わ たしたちが奉仕する時に不義になるよう教えておられる、という意味ではありま せん。ここでの重要なことは、家令の賢明さです。5節から7節にかけてわたした ちは、その免職される家令はまだ家にいる間に、他の人たちのために何かを行な う機会を捕らえたのを見ます。それは彼らに自分のために何かをしてもらうため です。これが家令の賢明さでした。ここで(8節)、主は決してわたしたちに不義 であれと教えておられるのではありません。そうではなく、彼はわたしたちに賢 明であること、すなわち、ちょうどよい時に事を行なうこと、手もとの機会を捕 らえることを教えておられるのです。 マモンによって友人をつくることは(9節)、神の導きにしたがって事を行なうた めに金銭を用いて他の人たちを助けることです。マモン、すなわち金銭は、サタ ンのこの世に属しています。それはその地位と存在において不義です。たとえの 中の家令は、その不義な行為によって賢明さを働かせました。主はわたしたち彼 の信者たちに、不義なマモンを使用する際は、わたしたちの賢明さを活用するよ う教えておられるのです。9節は、わたしたちの金銭の正当な使用によって益を 受けた人たちが、わたしたちを永遠の幕屋へと歓迎してくれることを示します。 これは、来たるべき王国時代においてのことです。主イエスが戻ってこられて、 わたしたちが彼の王国へと受け入れられる時、わたしたちのうちのある人たちは、 自分を迎えてくれる多くの人たちを持つことでしょう。これらの迎えてくれる人 たちとはだれでしょうか? 彼らは、この時代においてわたしたちの賢明な金銭 の用い方によって益を受けた人々でしょう。 このことについて一つの単純な例証を挙げましょう。仮に、あなたが人を主にも たらす目的で、福音ビラを印刷するためにあなたの金銭をかなり用いるとします。 このあなたの金銭の使用によって益を受けた人たちは、あなたを迎えるでしょう。 彼らは言うでしょう、「兄弟よ、わたしたちはあなたが代価を払ったビラの一枚 を通して救われたことを、あなたに知っていただきたいのです」。わたしたちが 王国への途上にある間に、わたしたちの金銭を他の人々を益するために用いるべ きです。わたしたちはそれを自分自身のために、自分のぜいたく、娯楽、享楽、 放縦のために用いるべきではありません。必要は大きいです。そして他の人たち に益となることでわたしたちの行ない得ることが、多くあります。これが、主に 仕える際に賢明であることです。 (月曜に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(三)」(1987年版)メッセ ージ36から引用されています。いずれも福音書房から出版されています。