父と放蕩息子(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ15:21 息子は言った、「お父さん、わたしは天に対しても、あなたの前で も、罪を犯しました。もう、あなたの息子と呼ばれる資格はありません」。 (22節)しかし、父は奴隷たちに言った、「急いで、あの最上の衣を持って来て彼 に着せ、手に指輪をはめ、足にサンダルをはかせなさい。(23節)また肥えた子牛 を引いて来て、ほふりなさい。食べて楽しもうではないか。(24節)わたしのこの 息子が死んでいたのに生き返り、失われていたのに見つかったのだから」。こう して彼らは楽しみ始めた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 息子が家に戻った時、彼はぼろをまとったあわれなこじきでした。しかし、あの 最上の衣が着せられると、彼は自分のために特別に用意されていたすばらしい衣 で覆われました。この衣をまとうと、彼はその父にふさわしくなるよう資格付け られました。息子に着せられたあの最上の衣は、わたしたちの義であるキリスト の全き予表です。このキリストの中で、わたしたちは神の御前において義とされ るのです。ですから、戻ってきた放蕩息子にあの最上の衣を着せることは、キリ ストにあって義とされることを象徴します。あの最上の衣としてのキリストを持 つ者たちとして、わたしたちは神によって義とされます。 父はまたその奴隷たちに、息子の手に指輪をはめるよう告げました。わたしは、 これは金の指輪であったと思います。この指輪は、戻ってきた罪人に与えられる 証印を押す霊を象徴します(エペソ1:13)。この指輪は、悔い改めた罪人が何か神 聖なもの、すなわち神ご自身のその霊そのものを受けるという、一つのしるしで す。証印を押す霊を象徴する指輪は、戻ってきた放蕩息子が御父のものであるこ とを示します。それはまた、御父が持っておられるものは何であれ、相続財産と してその戻ってきた息子に属することを示します。 第15章22節でわたしたちは、帰ってきた息子の足にサンダルもはかせられたこと を見ます。サンダルは、人の足を地の汚れから聖別し、歩むために彼を力付けま す。息子の足にはかせられたサンダルは、神の救いがわたしたちをこの世から神 へと聖別することを象徴します。それは、わたしたちが神の道を歩むことができ るようになるためです。 戻ってきた者は、衣、指輪、サンダルをもって全く装われ、また飾られました。 これは、彼が全く義とされ、資格付けられて、父の家へと受け入れられることが できたことを意味します。それから、父は奴隷たちに告げて、肥えた子牛を引い てきて、それを享受のためにほふらせました。こうしてわたしたちは、一人の悔 い改めた罪人を外側で義とする義としてのキリスト、証印としてのその霊、悔い 改めた罪人をこの世から分離する神の救いの力を見ます。今やわたしたちは、キ リストが肥えた子牛でもあって、神聖な命をもってわたしたちを満たし、わたし たちの享受となられることを見ます。父、帰ってきた息子、他のすべての人たち は、この肥えた子牛で祝宴を享受することができました。ですから、「彼らは楽 しみ始めた」のです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(三)」(1987年版)メッセ ージ35から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。