キリスト教世界の否定的な発展 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ13:18 イエスは言われた、「神の王国は何に似ているか? わたしはそれ を何にたとえようか? (19節)それは一粒のからし種のようなものである。人が それを取って、自分の庭にまくと、それは生長して木になり、空の鳥がその枝に 巣を作った」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 今までは、ルカによる福音書における王国に関する主の言葉は積極的でした。し かしここにおいて、主は弟子たちに王国について消極的に語り、からし種として の王国(18-19節)とパン種としての王国(20-21節)について教えられます。このか らし種が生長して木になったというのは、それ自身の種類にしたがったものに生 長しなかったことを示します。例えば、りんごの木はりんごの木の種類にしたが っているはずです。しかし、ここのからし種はその種類にしたがって生長してい ません。かえって別な種類へと生長しています。これは、創造において神によっ て定められた原則を破ることです。もしわたしたちがこれを見るなら、わたした ちはこのたとえを積極的な意味には解釈しないでしょう。 ある人たちは、からし菜が一本の大木になるのは積極的な発展であると教えます。 しかし、キリスト教の歴史によれば、そのような積極的な発展はありませんでし た。実は、このたとえは、キリスト教の歴史の中で成就された一つの預言です。 実に、今日のキリスト教はその種類にしたがったものではありません。王国の具 体化である教会は、食物を産出する一つの野菜のようであるべきです。しかし、 一本の「木」は、鳥たちのねぐらとなったのです。これは、あらゆる植物はその 種類にしたがっていなければならないという神の創造の法則に反して、その性質 と機能が変化したことを意味します。これはコンスタンティヌス大帝が第四世紀 の初期に、教会をこの世と混交させた時に起こりました。彼は何千何万という偽 信者をキリスト教の中に持ち込み、それをもはや教会ではなく、キリスト教世界 としました。教会はその天的で霊的な性質によれば、からし菜(一年草)のように 地上に一時的に寄留するべきです。ところが、その性質が変えられたので、教会 は一本の木として地に深く根を下ろし、定着してしまい、その枝々としての事業 を繁栄させ、多くの邪悪な人物や事物を宿らせました。これが、神の王国の外観の 外面的組織を形成したのです。 ルカによる福音書第13章19節では、この木の枝々に空の鳥どもが巣を作ったと告 げられています。第8章5節と12節で、空の鳥どもは悪魔と関係があります。こう いうわけで、ここの空の鳥どもは、サタンの邪悪な霊どもと、それらに動かされ ている邪悪な人物や事物を言っているに違いありません。それらは、その大木の 枝々に、すなわちキリスト教世界のもろもろの事業の中に宿っているのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(三)」(1987年版)メッセ ージ31から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。