神聖な命は分裂を引き起こす(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ12:51 あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うか?  そうではない。あなたがたに言うが、むしろ分裂である。(52節)なぜなら今か ら後、一家に五人いたなら分裂して、三人は二人に逆らい、二人は三人に逆らう からである。 1ヨハネ5:19 わたしたちは神から出た者であり、そして全世界は悪しき者の中 に横たわっていることを、わたしたちは知っています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ここで主は弟子たちに、主が地上に平和を与えるために来たと思っているかどう かを尋ねられます。ある意味で、主は確かに平和を与えるために来られました。 主が来られたとき、平和が来ました。なぜなら、彼は人類に平和をもたらされた からです。彼が生まれた時、天の軍勢の大軍は神を賛美して言いました、「いと 高き所では、神に栄光がありますように。また地上では、彼の大いなる喜びにか なう人々の間に平安がありますように」(2:14)。ですから、救い主の到来は、天 においては神に栄光を帰し、地上では人々に平安をもたらしました。エペソ人へ の手紙第2章14節でパウロは、キリストはわたしたちの平和であるとさえ言って います。しかし、別の意味において、主は平和を与えるために来られたのではな く、分裂を与えるために来られたのです。 主はマタイによる福音書第10章34節で同じような言葉を語られました、「わたし が地上に平和をもたらすために来たと思ってはならない。平和ではなく、剣をも たらすために来たのである」。全地はサタンの横領下にあります(1ヨハネ5:19)。 主イエスは、幾人かを横領下から召し出すために来られました。これは確かにサ タンの反撃を呼び起こしました。サタンは自分の横領下にある人々をそそのかし、 主によって召された人たちに敵対して戦わせます。確かに主の到来は、平和では なく、剣をもたらしました。 サタンの命と神聖な命との間の争いは、実はサタンの王国と神の王国との戦争で す。王国は命の問題です。すなわち、ある種の王国はある種の命を持っています。 例えば、植物の王国について語ってみましょう。植物の王国は植物の命にかかっ ています。同じ原則で、人の王国は人の命にかかっています。また神の王国は神 の命にかかっています。わたしたちは神の命を持っているのですから、わたした ちは神の王国の実際を持っており、わたしたちはこの実際の中にいるのです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(三)」(1987年版)メッセ ージ30から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。