祈りにおいて命の供給を受ける ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ11:9 そこで、わたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられ る。捜せ、そうすれば、見いだす。門をたたけ、そうすれば、開かれる。(10節) すべて求める者は受け、捜す者は見いだし、門をたたく者には開かれるからであ る。(11節)あなたがたのうちで、自分の子が魚を求めるのに、魚の代わりに蛇を 渡す父がいるだろうか? (12節)あるいは、卵を求めるのに、さそりを渡すだろ うか? (13節)あなたがたは悪い者であっても、自分の子供に良い贈り物を与え ることを知っているとすれば、天の父は、彼を求める者たちに、どれほど聖霊を 与えてくださることであろう! ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたち自身を神の中へと祈り込んだ後、次にわたしたちは神の中にある者た ちとして、パン、魚、卵によって示されるような命の供給を受けます。これらの 豊富、すなわち地上、水中、空中のもろもろの豊富の総計は、聖霊です。これは、 聖霊が命の供給であることを意味します。わたしたちが自分自身を神の中へと祈 り込むとき、わたしたちは命の供給としての聖霊を受けるために神の中にとどま るべきです。祈ることは、わたしたち自身を神の中へと祈り込むことであり、そ れはわたしたちの命の供給としての聖霊を受けるためにわたしたちが絶えず彼の 中にとどまっていることであることを、あなたはこれまでに聞いたことがあるで しょうか? パン、魚、卵によって象徴されるこの命の供給は、わたしたち自身 だけでなく、わたしたちの顧みの下にある人たちをも養います(5-8節)。 わたしたちの祈りを支配する原則は、その祈りが常にわたしたちを神の中にもた らすことであるべきです。これは、あなたが病気であっても主にいやしを求める べきではない、という意味ではありません。要点は、あなたがいやしを求めて祈 るとき、あなたは祈りを支配する原則を守るべきであり、自分自身を神の中へと 祈り込むべきであるということです。もしあなたの祈り方が、あなたを主からそ らさせて、あなたを彼の中へともたらさないとしたら、あなたは祈り方を変える べきです。あなたが神の中にもたらされるような方法で祈ることを求めなさい。 わたしたちを神の中にもたらす祈りこそ、正しい種類の祈りです。 多くの時、わたしたち正当に祈り、自分自身を神の中へと祈り込んだということ を、主との経験から知っています。わたしたちが彼の中にとどまっている時、わ たしたちは彼の豊富、彼の霊の中に具体化されている豊富を受けます。パン、魚、 卵によって象徴されたわたしたちの命の供給としての聖霊を受けるとき、わたし たちは自分自身を養うことができます。またわたしたちは、わたしたちの顧みの 下にあるすべての人たちをも養うことができます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(三)」(1987年版)メッセ ージ27から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。