忙しく奉仕するのではなく、静かに聞き入る(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ10:39 彼女にはマリヤという妹がいたが、マリヤは主の足もとに座って、 主の言に聞き入っていた。(41節)主は彼女に答えて言われた、「マルタよ、マル タよ、あなたは多くの事で思い煩い、心配している。(42節)しかし、無くてはな らないものは、ただ一つである。マリヤはその良い分を選んだのだ。それを、彼 女から取り上げてはならない」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 今日、多くの人は救われようとして忙しくしています。彼らは、救いが自分たち の行なう事にかかっていると思います。しかし、わたしたちは救われるために何 もする必要がありません。人が救われるためには、自分には自分自身を救うこと ができないことを認識する必要があります。なぜなら、人は、善いサマリヤ人の たとえの中の人のように、衣服をはぎ取られ、打ちたたかれ、半殺しにされてい る人であるからです。これは、わたしたちすべてが救い主、すなわち同情と愛に 満ちた方を必要とすることを示しています。わたしたちが救い主の同情と愛を認 識する時、わたしたちは人性の美徳と神聖な特質で満ちた彼の救う恵みを享受す るでしょう。これが、救われるということの意味するものです。 いったん救い主の同情と愛を確信して救われると、わたしたちは主のために多く の事をしようと努めるかもしれません。わたしたちは、今や主を愛しているのだ から主のために忙しく事を行なうべきであると考えるかもしれません。わたしは、 救われた人で主のために事を行なおうと考えなかった人に会ったことがありませ ん。わたしの知っているすべての救われた人は、主のために働こうとする観念を 持っています。 今日、主に救われた人たちのほとんどは、主に仕えようとして忙しくしています。 彼らは救い主をも忙しくさせようとしているかもしれません。しかし、主を知り、 主の願いと好みを知っている人たちは言うでしょう、「そんなに忙しくしてはな りません。主は安息なさりたいのです。主にとって最も尊い事は、あなたが主の ために働くことでも、主のために事を行なおうとすることでもありません。主に とって最も尊い事は、あなたが主と共に座し、静かに主の言葉に聞き入ることで す。もしあなたが主と共に座って、主の言葉に聞き入るなら、あなたは主の願い と好みを知るでしょう」。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ25から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。