理解する前に賛美する(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 詩篇50:23 感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。(新改訳) 1コリント13:12 今のところ、わたしたちは鏡でおぼろげに見ているだけです が、かの時には、顔と顔を合わせて見るようになります。今のところ、わたしは 部分的に知っているだけですが、かの時には、わたしが完全に知られているのと 同じように、わたしは完全に知るようになります。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) ここの「感謝」は、「賛美」とも訳せます。主はわたしたちの賛美を待っておら れます。賛美ほど神に栄光を帰するものはありません。ある日、すべての祈りは 過ぎ去り、すべての働きも過ぎ去り、すべての預言者の言葉も過ぎ去り、すべて の労苦も過ぎ去るでしょう。しかしその日、賛美は今よりも増すでしょう。賛美 は永遠に続き、永遠にやむことはないでしょう。ですから、最も良い学課は、今 日この時に神を賛美することを学ぶことです。 今日わたしたちは鏡に映すように見ており、おぼろげで、あまりはっきりしては いません(1コリント13:12)。多くの事で少しは見ることはできても、その背後 の意味は何であるかをはっきり知り尽くすことができません。わたしたちの遭遇 すること、経過することは、内側で受けた傷であろうと、外側の状況の困難であ ろうと、わたしたちは何と苦しいことかと感じるだけで、その意味がはっきりと わからないので、賛美することができないのです。天上では完全な認識があるの で、天上には多くの賛美があると、わたしたちは信じます。認識が完全であれば あるほど、賛美も完全になります。わたしたちが主の御前に行く日には、すべて のことがはっきりするでしょう。今日わたしたちにとってはっきりわからないこ とが、その日にはすべて明らかにされるでしょう。かの日には、聖霊の管理には みなすばらしい意図があったことがわかるでしょう。かの日に、わたしたちがす べての事を見るとき、わたしたちはこうべを垂れて、主を賛美し、「主よ、あな たは決して間違われませんでした」と言うでしょう。 (明日へ続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初心者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第16編から引用されています。