良きサマリヤ人(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ10:33 ところが、旅をしていたあるサマリヤ人が、彼の所に来た。そして 彼を見ると、深くあわれみ、(34節)近づいて来て、その傷に油とぶどう酒を注い で包帯をした。そして自分の家畜に乗せて、宿屋に運び、彼の世話をした。(35 節)翌日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った、「彼の世話 をしてください。どんなに余計にかかっても、わたしが戻った時に払います」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 33節と34節は、強盗どもの手に陥った人の所に来た、あるサマリヤ人の行動を描 写しています。このサマリヤ人は、人・救い主を象徴しています。彼は、見たと ころ身分の低いただの人であり、高慢で自己を正当化するパリサイ人たちによっ て、低く卑しいサマリヤ人として軽蔑され、中傷されました(ヨハネ8:48、4:9)。 そのような人・救い主は、失われた人を捜し求めて罪人を救うための務めの旅の 中で、ユダヤ教徒の強盗たちに傷つけられた犠牲者が悲惨な死ぬばかりの状態に あった、その場所に下ってこられました。彼はその人を見ると、彼の神性を伴う 人性におけるあわれみに動かされ、思いやりのあるいやしと救いの心遣いを示し て、その人の緊急の必要に完全に応じました。 第10章34節と35節で、その死にかけている人に対するサマリヤ人の一つ一つの心 遣いは、律法の下で罪定めされた罪人に対する、人・救い主の神性を伴う人性の 中のあわれみ深い、思いやりのある、惜しみない心遣いを描写します。これは、 彼の救う恵みの中の、彼の道徳の高い標準を極みまで見せるものです。サマリヤ 人はその人の所に来て、その傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をしました。傷に包 帯をすることは、その人をいやしたことを示します。その人の傷に油とぶどう酒 を注ぐことは、彼に聖霊と神聖な命を与えることを象徴します。人・救い主がわ たしたちの所に来られたとき、彼はわたしたちの傷に彼の霊と神聖な命を注がれ ました。 サマリヤ人はその人を宿屋に連れて行き、彼の世話をしました。これは、その人 を教会に連れて行き、教会を通してその人の世話をしたことを示します。ここの 35節では、サマリヤ人がその人のために宿屋に支払いをしています。これは、彼 がその人のために教会を祝福されたことを意味します。さらに、余計にかかった 分だけ宿の主人に払うという約束は、この時代に教会がその人のために費やすも のは何であれ、救い主の再来のときに払い戻されることを指しています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ26から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。