これらの事柄はすばらしく、また深遠である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ10:23 そして彼は、弟子たちのほうを向いてひそかに言われた、「あなた がたが見ている事柄を見る目は幸いである。(24節)わたしはあなたがたに言う。 多くの預言者や王たちは、あなたがたが見ている事を理解したかったが、理解す ることがなく、あなたがたが聞いている事を聞きたかったが、聞くことがなかっ たのである」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ルカによる福音書第10章の、上記の節の事柄、すべての事柄(22節)についての言 葉は、わたしたちにコリント人への第一の手紙第2章9節のパウロの言葉を思い出 させるでしょう、「このように書かれているとおりです、『目が見たこともなく、 耳が聞いたこともなく、人の心に思い浮かんだことのないもの(直訳では、事柄) を、神はご自身を愛する者たちのために備えてくださった』」。ここの「もの」( 事柄)とは、神の新約エコノミーの中の事柄です。目が見ることのできる領域は 狭いです。耳が聞くことのできる領域はもっと広いです。心が認識することので きる領域は無制限です。神はご自身の知恵の中で、義認、聖化、栄光化のような 多くの深くまた隠された事柄を、わたしたちのために定め、用意されました。こ れらすべてを、人の目は見たことがなく、人の耳は聞いたこともなく、人の心は 認識したことがありません。 わたしは、これらの事柄、すべての事柄の説明がルカによる福音書には見いださ れないことを強調したいのです。この説明のために、わたしたちはパウロの書簡 にこなければなりません。これらの書簡においてわたしたちは、神の新約エコノ ミーとこのエコノミーの中の奥義を持つのです。これらの奥義は何とすばらしく、 深遠でしょう! 神の新約エコノミーに関してパウロの書簡の中に啓示されてい ることは、神聖な三一、神の永遠のご計画、神の具体化としてのキリスト、キリ ストのからだとしての教会、教会の中で神聖な三一を通して表現される神の意図 を含みます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ24から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。