信仰、愛、平安(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ7:47 「こういうわけで、わたしはあなたに言う。彼女の罪は多いが、赦さ れている。だから彼女は多く愛した。しかし、少ししか赦されていない者は、少 ししか愛さない」。(48節)そしてイエスは彼女に言われた、「あなたの罪は赦 されている」。(49節)すると、彼と共に食卓に着いていた者たちは、互いに言い 始めた、「罪を赦しさえするこの人は、いったい何者なのだろう?」。(50節)し かし、イエスはその女に言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。平 安の中を行きなさい」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) 愛は平安という結果になります。まずわたしたちは主イエスを信じ、彼への信仰 を持ちます。すると、わたしたちの罪はすべて赦されます。これは、主に対する 愛をもたらします。わたしたちが彼を愛するとき、この愛は平安になります。そ のときわたしたちは平安の中を歩くでしょう。平安の中を歩くとは、平安の中に 生きること、平安の生活をすることを意味します。わたしたちが平安の中を歩く とき、わたしたちは自分の存在を平安の中に持ち、平安に満ちた生活を送ります。 これが意味することは、わたしたちが主を信じるとき、わたしたちは彼を愛し、 平安の生活を送るということです。これがクリスチャン生活です。主を愛する者 たちとして、わたしたちは平安の中に生き、歩き、わたしたちの存在を持ちます。 第7章36節から50節の雰囲気は、愛情の雰囲気です。人・救い主の側と罪ある女 の側のいずれにも愛情があります。主の愛情は彼の人性の美徳の一面です。もう 一度わたしたちは彼の人性の美徳の中で、彼の神聖な特質を見ることができます。 特にわたしたちは、人の罪を赦す神聖な権威の特質を見ます。この方は神にほか なりません。なぜなら、彼だけが罪を赦す権威を持っておられるからです。 人・救い主の神聖な特質は、赦された罪人に対して彼が平安を与えることの中に も見られます。ただ神だけが、赦された罪人に平安を与えることができます。あ なたは他の人たちに平安を与えることができますか? 他の人たちに平安を与え ることは、わたしたちの手の中にありません。平安は、神の全能の御手の中にあ ります。彼だけが罪を赦すことができ、平安を与えることができます。こういう わけで、罪を赦すことと平安を与えることは、神の二つの特質です。ここでこれ らの特質は、救い主の人性の美徳の中で表現されています。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたがわたしの罪を赦してくださったので、またわたしがあなた を愛しているので、わたしは平安の中を生き、歩くことができます。思い煩いと もがきの生活からわたしを救ってください。神と人に対して平安の生活をするた めに、わたしを赦しと愛へともたらしてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ17から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。