命の言葉の上に建造される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ6:47 すべてわたしの所に来て、わたしの言を聞き、それらを行なう者はだ れに似ているかを、あなたがたに示そう。(48節)その者は、深く掘り下げ、岩の 上に土台を据えて家を建てる人に似ている。洪水が起こり、川が氾濫してその家 に押し寄せても、それを揺るがすことはできなかった。それはしっかりと建てら れていたからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ここでわたしたちは、もしわたしたちが主の言葉にしたがって生き働くなら、わ たしたちは良い土台を持つことができることを見ます。主の言葉は、わたしたち の存在、振る舞い、働きの土台です。 神聖な言葉は神聖な命の表現です。命は内側のものであり、言葉はその命が外側 に語りだされたものです。聖書では、神聖な言葉は命の言葉(1ヨハネ1:1、使 徒5:20)と呼ばれています。聖書では、神聖な言葉と神聖な命は一つであるとさ れています。どうすれば、神聖な命を持つことができるでしょうか? 言葉を通 して、この命を持つことができます。命の言葉を受け入れる時、わたしたちは命 を得るのです。 ヨハネによる福音書第6章63節で主イエスは、「わたしがあなたがたに語った言葉 は霊であり、命である」と言われました。命と言葉は、いずれもその霊にかかっ ています。その霊がなければ、命はなく、純粋な実際の言葉もないでしょう。実 際の言葉である言葉は、実はその霊です。ですから、神聖な命と神聖な言葉を持 つためには、その霊を持たなければなりません。今日、その霊は復活のキリスト です。復活の中で、キリストは命を与える霊と成りました(1コリント15:45)。 今わたしたちはこの霊を持っているのですから、命と言葉をも持っているのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたの言葉を感謝します。聖書を命の言葉として尊ぶことができ ますように。わたしは、あなたの神聖な命を得るためにあなたの言葉に来ます。 どうかあなたの命の言葉がわたしの生活と働きの土台となり、わたしが揺り動か されることがありませんように。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版)メッセ ージ15から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。