罪の法則(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ7:21 そこでわたしは、善をしようと欲しているわたしに、悪が共にある という法則を見いだします。(22節)わたしは、内なる人によれば神の律法を喜び ますが、(23節)自分の肢体の中には別の法則があって、わたしの思いの法則に逆 らって戦っており、わたしの肢体の中にある罪の法則の中に、わたしをとりこに しているのを見ます。(24節)何とわたしは苦悩している者でしょう! だれがこ の死の体から、わたしを救い出してくれるのでしょうか? ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 21節の後、パウロの目は開かれて、彼が対処しなければならない敵である罪は、 法則にほかならないことを見ました。罪が一つの法則であるのを見ると、彼はた め息をついて言うほかありませんでした、「何とわたしは苦悩している者でしょ う! だれがこの死の体から、わたしを救い出してくれるのでしょうか?」。彼 は、意志を持って罪を対処することはできないことを認識しました。 意志とは、人の考え、つまり人が自分で決め、しようと思ったり、欲したり、主 張したり、決断したりすることです。人の意志は、一つの事をやろうと決めると、 それを遂行しようとします。人の意志は、力を生み出すことができます。しかし、 問題がここにあります。意志と罪の法則が相反する時、いったいどちらが勝利す るかです。たいてい最初は意志が勝ちます。しかし、最後は必ず罪が勝ちます。 例えば、ある重さの本を手に載せるとします。引力はそれを下に引っ張り、あな たは力いっぱいそれを支えます。しかし、法則が絶えずそこに働いていて、つい には勝ちます。すると本は床に落ちます。あなたはそれが落ちないようにと、片 手でずっと持ち続けます。その結果、一時間は勝利を得るでしょう。二時間たつ と、少し疲れを覚え、さらに一時間たつと、あなたの手は言うことをきかなくな り、手放さないではいられなくなります。地球の引力に疲れはありませんが、あ なたの手は疲れてしまうからです。 意志を用いて罪に打ち勝とうとするのもこのようです。意志は罪に一時的に抵抗 することはできますが、罪の力は人の意志の力をはるかに超えています。罪は法 則であり、意志が抵抗して消滅するものではありません。意志の力が弱まると、 罪の法則は直ちにその働きを現します。人の意志の力は持続することができませ んが、罪の法則は絶えず活動しています。ですから、意志は一時的には勝利して も、最後は罪の法則に負かされてしまいます。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、自分の善なる意図はみな、さらに強力な罪の法則に対抗できないこ とを、パウロの言葉は確証しています。引力の法則のように、わたしはそれに打 ち勝つことができません。あなただけがわたしの解放の源であることを啓示して くださり、感謝します。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第25編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。