罪の法則(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ7:19 わたしは自分の欲する善を行なわず、かえって自分が欲していない 悪を行なっています。(20節)もしわたしが欲していないことを行なうなら、それ を行なうのはもはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる悪です。(21節)そ こでわたしは、善をしようと欲しているわたしに、悪が共にあるという法則を見 いだします。(22節)わたしは、内なる人によれば神の律法を喜びますが、(23節) 自分の肢体の中には別の法則があって、わたしの思いの法則に逆らって戦ってお り、わたしの肢体の中にある罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見 ます。(24節)なんとわたしは苦悩している者でしょう! だれがこの死の体から、 わたしを救い出してくれるのでしょうか? ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) ローマ人への手紙第7章は、パウロが勝利を得ようと思っていたことを見せてい ます。彼は罪を犯さないでいられたら、神が喜ばれる事をすることができたら、 一番良いと思っていました。彼は罪を犯すことを願いませんし、失敗することを 願いません。しかし結果は、彼は自分がそうしようとしても駄目であることを認 めています。彼は言いました、「わたしは善をしようと欲するのですが、善を行 なうことはないからです」。彼は罪を犯すことを願わないのに、罪を犯してしま います。パウロは絶えず志を立てますが、結果は絶えず失敗です。これからわか るように勝利の道は人の願いにあるのではなく、人が志を立てることにあるので もありません。 その理由は、罪が一つの法則であるからです。彼が善をしようと志を立てるたび に、罪を犯す法則が彼と共にあるのです。聖書の中でパウロは、罪が法則である と語った最初の人でした。これはとても重要な発見です! 多くの人は、地球の 引力が一つの法則であることを知っていますし、物質が熱せられると膨張するこ とが法則であることも知っています。しかし彼らは、罪も一つの法則であること を知りません。パウロも最初は知りませんでした。故意にそうするわけでもない のに、体の中には力があって、彼を引っ張って罪を犯させ、罪を犯させるに至っ て、彼は罪が法則であることを発見しました。 わたしたちの失敗の歴史によれば、誘惑がやって来る時、心の中で抵抗しようと 思うのに、うまく抵抗できずに失敗してしまいます。二度目に誘惑がまたやって 来ると、再び抵抗しようとしてもうまく抵抗できずに、また失敗します。これは 決して偶然ではありません。これは法則です。もし人が一生のうち、たった一回 罪を犯すのでしたら、罪を犯すことは偶然であるかもしれません。しかし、百回、 千回と罪を犯すなら、罪は法則であると言わなければなりません。なぜなら、そ れは絶えず人に罪を犯させるからです。 (明日に続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― おお主イエスよ、わたしは自分自身の経験から、罪が自分のうちで働いている法 則であることが、はっきりとわかります。主よ、わたしに勝利への道を見せてく ださい。人の意志や決心ではない道を、わたしに示してください。わたしはこの 事であなたの光に対して開きます。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第25編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。