岩は主の言葉である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ6:47 すべてわたしの所に来て、わたしの言を聞き、それらを行なう者はだ れに似ているかを、あなたがたに示そう。(48節)その者は、深く掘り下げ、岩の 上に土台を据えて家を建てる人に似ている。洪水が起こり、川が氾濫してその家 に押し寄せても、それを揺るがすことはできなかった。それはしっかりと建てら れていたからである。(49節)しかし、聞いても行なわない者は、土台なしで地面 に家を建てる人に似ている。川が押し寄せると、たちまちその家は崩壊し、しか もその破壊はひどかった。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ここの家とは、わたしたちの存在およびわたしたちの働き、行動の両方を指して います。もしわたしたちの存在が主の言葉にしたがっているなら、それは正当な 土台を持つでしょう。同様に、もしわたしたちの働きが主の言葉に基づいている なら、それは堅固な土台を持つでしょう。もしわたしたちの存在とわたしたちの 働きが主の言葉に基づいているなら、それはいかなるテストにも、いかなる「洪 水」や「川」にも耐えることができるでしょう。しかし、もしわたしたちの存在 とわたしたちの働きが主の言葉に土台付けられていないなら、川はそれらを運び 去ってしまうでしょう。 第6章48節の「岩」は、キリストを指しているのではありません。そうではなく、 それは主の知恵の言葉、すなわち父なる神のみこころを啓示する言葉を指してい ます。わたしたちの存在と働きは、わたしたちの父のみこころの達成のために、 人・救い主の言葉に土台付けられていなければなりません。 岩の上に建てられており、川によって揺るがされることのない家は、金、銀、宝 石による建造の働きのようです。それらはテストする火に耐えることができます (1コリント3:12-13)。しかし、土台なしに地面に建てられ、川が押し寄せる ときに崩壊する家は、木、草、切り株による建造の働きに似ています。それらは テストする火によって焼かれてしまうでしょう。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたの言をわたしの土台として持つことの大切さを思い起こさせ てくださって感謝します。わたしがテストに耐えることができるようになるため、 あなたの言葉の上に建造するよう、わたしを死にもの狂いにしてください。あな たの言葉がわたしの揺るがない土台となるまで、わたしを深みへと導いてくださ い。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉 は、ウィットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(二)」(1987年版) メッセージ15から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。