触れることのできない人に触れる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ5:12 ……見よ、全身らい病の人がいた。彼はイエスを見た時、ひれ伏して 請い願い、「主よ、あなたが良しとされるなら、わたしを清めることができます」 と言った。(13節)イエスは手を差し伸べ、彼に触れて言われた、「わたしは良し とする。清くなりなさい!」。すると、たちどころに、らい病は彼を去った。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ここでわたしたちは、人・救い主がらい病人に同情されたのを見ます。旧約によ れば、だれもらい病人に触れることができませんでした。他の人々が彼に触れな いようにするために、らい病人は「汚れている、汚れている!」と叫ぶことが要 求されていました。ですから、らい病人は完全に隔離されていました。しかし、 人・救い主はその手を差し伸べ、このらい病人に触れられたのです。主がらい病 人に触れたことは、彼の人性の美徳を啓示します。 彼の神聖な特質は、そのらい病人を清めることで表現されました。いかなる人も、 らい病人を清めることは不可能です。ですから、このらい病人を清めた方は、神 でなければなりません。主の同情の中に、わたしたちは主の人性の美徳を見ます。 らい病人の清めにおいて、わたしたちは主の神聖な特質を見ます。彼は真の神・ 人でした。人として、彼は人性の美徳で満たされていました。神として、彼は神 聖な特質を持っており、それによって彼は人のらい病を清めることができました。 らい病人は典型的な罪人を描写しています。らい病は、最も汚染し、最も害をも たらす病気であり、それにかかった者を神からも人からも隔離させます。らい病 人を清めることは、罪人を神と人との交わりへと回復することを象徴します。ら い病人は、いやされただけでなく、清められたことは、意味深いです。らい病に かかっている人は、他の病気と同じようにいやしを必要とするだけでなく、罪か らのように、清めをも必要とします(1ヨハネ1:7)。それは、その病の性質が汚 れており、伝染するからです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしはあなたを人・救い主として礼拝します。主よ、わたしはと ても罪深いにもかかわらず、あなたはわたしの所に来られ、あなたのいやす美徳 をもってわたしに触れてくださいました。あなたはわたしの中に生きてさえおら れ、日々わたしを汚れた事柄すべてから清めてくださいます。主よ、わたしはあ なたを愛します。アーメン。    ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウィットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(一)」(1987年版)メッ セージ13から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。