その霊の二つの面 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ3:21 さて、人々がこぞってバプテスマされ、またイエスがバプテスマされ て祈っておられた時、天が開け、(22節)そして聖霊がはとのような具体的な形で、 彼の上に下った。そして天から声があった、「あなたはわたしの子、愛する者、 わたしはあなたを喜ぶ」。(23節)イエスが務めを開始されたのは、およそ三十歳 であった。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― バプテスマのヨハネが主イエスをバプテスマした後、父なる神はご自身の聖霊を このバプテスマされた人の上に遣わしました。ですから、神の霊は、終わらされ 葬られた人の上に下って、彼を神のための生ける務めに就任させたのです。 ルカによる福音書第1章35節における、聖霊によるイエスの受胎は、本質的なも のであり、イエスの神聖な存在、神聖なパースンと関係があります。イエスの受 胎における聖霊の神聖な要素の本質は、不変のものであり、除き去ることはでき ません。しかしながら、ここでイエスの上に聖霊が下ったのは、エコノミー的な ものであり、イエスの務め、働きに関係があります。イエスの務めのための聖霊 の力は、必要に応じて除き去られることもあります。イエスが十字架上で罪人た ちのために死ぬことによって彼らの罪を担っていた時に、神がイエスを見捨てて、 イエスを離れたのは、このエコノミー的な面においてでした(マタイ27:46)。 ですから、主イエスには、彼のパースンの問題と彼の務めの問題があります。彼 のパースンのために、彼はその受胎の時から内在的な本質である聖霊を持ってお られました。三十年間、主イエスは彼のパースンの内在的な本質である聖霊によっ て地上で生活されました。そして三十才の時、彼は出て来て、働きをし、奉仕を し、彼の職務を果たしました。務めのために、彼はさらに聖霊を、本質的にでは なくエコノミー的に必要とされました。バプテスマされた後、聖霊ははとのよう に具体的な形で彼の上に下りました。これは、聖霊がエコノミー的に主の上に下 り、主の務めを通して神のエコノミーを遂行するためでした。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、その霊の二つの面、すなわち本質的な面とエコノミー的な面のゆえ に感謝します。あなたがその霊として本質的にわたしの中で生きておられること を、わたしは本当に喜びます。しかし、人と接触する働きのために、エコノミー 的にわたしの上に臨んで、わたしを力づけてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(一)」(1987年版)メッセー ジ8から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。