クリスチャンの反応(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ5:38 『目には目を、歯には歯を』と言われたことを、あなたがたは聞い ている。(39節)しかし、わたしはあなたがたに言う。悪しき者に抵抗してはなら ない。むしろあなたの右の頬を打つ者には、他の頬をも向けてやりなさい。 (40節)あなたを訴えて、あなたの下着を取ろうとする者には、上着をも取らせな さい。(41節)だれでもあなたに強いて一マイル行かせるなら、彼と一緒に二マイ ル行きなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) わたしたちの人生の半分以上は、反応の中で費やされます。人が話し、わたした ちが楽しいと感じる、これが反応です。人が話し、わたしたちが怒りを覚える、 これも反応です。人がわたしたちを刺激し、わたしたちが刺激を受ける、これも 反応です。人がわたしたちに申し訳ない事をし、わたしたちが短気を起こす、こ れも反応です。わたしたちが人の生活を注意深く分析してみるなら、人生の半分 以上を反応の中で生きていることがわかるでしょう。 マタイによる福音書第5章38節から48節を読んでみましょう。この部分の聖書は 反応について語っています。「目には目を、歯には歯を」の意味は、人がわたし の目を傷つけるなら、わたしも彼の目を傷つけるという意味です。人がわたしの 歯を折るなら、わたしも彼の歯を折ります。あなたがするように、わたしも行な います。これを反応と呼びます。旧約時代の人々は、律法の下でこのように反応 しました。 しかしながら、わたしたちの反応は異なっているべきであると、主は言われまし た。わたしたちは反応の仕方において異なっているべきです。わたしたちは悪し き者に抵抗すべきではありません。あなたは、左の頬、上着、二マイルがすべて クリスチャンの反応であることがわかりますか? 人の要求は右の頬ですが、わ たしたちの反応は左の頬をも向けることです。人の要求は下着ですが、わたした ちの反応は上着です。人の要求は一マイルですが、わたしたちクリスチャンの反 応は二マイルです。マタイによる福音書第5章のこの部分は、初めから終わりま ですべて、別の反応があるべきであるという同様の教えを告げています。クリス チャンの生活は、一連の全く異なった反応を通して表現されるものです。 (明日に続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしを天然の反応から救ってください。わたしも律法の下の人々 と同じような反応をしがちであることを、告白します。主よ、あなたの命がなけ れば、わたしには変わる力がありません。あなたの命がわたしの反応の中で表現 されるまで、わたしの内側で働いてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第24編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。