最高水準の道徳(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 創1:26 そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろ う……」と仰せられた。(27節)神はこのように、人をご自身のかたちに創造され た……。 2:8 神である主は、東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。 (9節)……園の中央には、いのちの木……を生えさせた。(新改訳)   ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) わたしは、最高水準の道徳とは何を意味するかを、さらに進んで説明したいと思 います。創世記第1章でわたしたちは、人が神のかたちに、また神の姿に似せて 造られたことを見ます。神は愛であり、また光です。愛は神の存在の性質であり、 光は神の表現の性質です。さらにまた、神は聖であり、義です。神はご自身の性 質において聖であり、ご自身の行動において義です。これら四つの特質、すなわ ち愛、光、聖、義は、神の律法の中に啓示されています。 人が神のかたちに造られたと言うのは、人は神が何であられるかにしたがって造 られたことを意味します。人が造られたのは、愛また光であり、聖また義である 神にしたがってでした。しかしながら、人はその創造の時に、神を自分の内側に 持っていませんでした。こういうわけで、神はご自身によって造られた人を、命 の木の前に置かれました。これが意味することは、神によって造られた人は神を 自分の中に命として取り入れる必要があったということです。もし人が神を命と して自分の中に取り入れたとしたら、愛、光、聖、義という神性の特質も人の中 に入ったことでしょう。 神によって造られた人は、神の愛、光、義、聖の外観を持っていたにすぎません。 人は自分の中に神を命として受け入れなければ、こららの特質の実際を持つこと はできません。創世記によれば、人は自分の中に神を命として取り入れることに 失敗したことを、わたしたちは知っています。 (明日に続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、あなたはわたしを、あなたの愛、光、聖、義を表現する能力をもっ て創造してくださいました。多くの時、わたしはこれらの美徳を生かし出すこと に失敗します。わたしの内にあなたの命を増し加えて、わたしがこれらの特質の 外観だけでなく、実際を所有することができるようにしてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(一)」(1980年版)メッセ ージ2から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。