事柄において現れるキリスト(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒26:15 そこで、わたしは言いました、「主よ、あなたはどなたですか?」。 すると主は言われました、「わたしはあなたが迫害しているイエスである。(16節) 起きなさい。そしてあなたの足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、わ たしを見た事と、わたしがあなたに現そうとしている事について、あなたを奉仕 者、証し人として任じるためである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 使徒行伝第26章16節は、パウロがキリストを見ることなしに事柄の啓示を受けた のではないことを示しています。そうではなく、彼は自分がキリストを見た事を 受けたのです。言い換えると、キリストは、それらの事柄の内容であるご自身な しに、パウロに事柄を啓示されたのではありません。こういうわけで、パウロは 主を見た事の証し人となったのです。パウロは自分が見たすべてのビジョンの中 で、キリストを見ました。さらに彼は、主が彼に現そうとしている事柄について の証し人でした。これが示していることは、もしわたしたちがビジョンと啓示を 見るだけで主を見ないとしたら、わたしたちが見るものはむなしいということで す。 わたしたちは単に神学的な方法で聖書を学ぶことには同意しません。このように 聖書を学ぶ人たちは、神学を学ぶでしょうが、キリストを見ません。神学を学ぶ ために聖書を学ぶことと、キリストを見るために聖書を学ぶことには、大きな相 違があります。パウロがダマスコの途上にあった時、キリストはある事柄を彼に 啓示しました。そしてその事柄の中で、パウロはキリストを見ました。主はパウ ロにもっと多くの事を啓示することを、そしてそれらの事の中で主ご自身が彼に 現れるであろうことを、示されました。こういうわけで、パウロが見たものは単 に事柄そのものではなく、これらすべての事柄の中で現れる方としてのキリスト でした。 (明日に続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、単に神学的な方法で聖書を学ぶことから、わたしを救ってください。 主よ、あなたを見たいです。あなたがわたしに見せてくださるすべての事柄の中 に、あなたを見たいです。あなたの現われがないどのような啓示もむなしいとい うことに、わたしは同意します。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(四)」(1989年版)メッ セージ68から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。