神の恵みの度量を知る(2) ――――――――――――――聖書の節 (回復訳)―――――――――――――――― エペソ3:19 そして知識を超越したキリストの愛を知ることができるように。また、あな たがたが満たされて、神の全豊満へと至るように。((20節)……わたしたちが求め、 また思うすべてを、はるかに超えて豊かに行なうことのできる方。 ――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 神の恵みの度量にしたがった神の活動は、放蕩息子が家に帰ることにおいても見られます (ルカ15:11-32)。彼が遠い所にいて、父に会う前は、自分は家に帰って雇い人になろうと 思っていました。しかし、彼が家に着くと、父は彼を雇い人にするどころか、しもべたち に命じて最上の衣を出してきて彼に着せ、指輪を手にはめ、サンダルを足にはかせました。 また肥えた子牛を引いてきてほふり、食べて楽しみました。それは、この息子が死んでい たのに生き返り、失われていたのに見つかったからでした。ここからも見ることができま すが、神は、わたしたち罪人の思うところにしたがって救いを成就されるのではなく、ご 自身の思われるところにしたがって救いを成就されるのです。 マルコによる福音書第2章では、四人の人が一人の中風の者を運んで、主イエスの所に連れ てきました。群衆のために近寄ることができなかったので、主イエスのおられるあたりの 屋根をはぎ、穴をあけて、中風の者を寝かせたまま床をつりおろしました。そして、主イ エスが中風をいやし、起きて歩けるようにしてくださることを期待しました。しかし、主 イエスは言われました、「子よ、あなたの罪は赦された」(マルコ2:5)。主イエスは彼をい やされただけでなく、彼の罪を赦しさえされました。これも、神はご自分が満足されるま でなさるということを告げています。わたしたちのすべきことはただ、神の御前に行って 求めることだけです。十分求めたにしても、求め方が不十分であったにしても、神はご自 分が満足するまでなさるのであり、罪人が満足するまでなさるのではありません。 ――――――――――――――祈り――――――――――――――――――――――― 父なる神よ、あなたの救いは何と広大なことでしょう! それはわたしの天然の思いをは るかに越えています。わたしはただあなたの下に行って、自分の必要を提示するだけでよ いことを、わたしに思い起こさせてください。ハレルヤ、その時、あなたはわたしの必要 を満たすだけでなく、あなたご自身の満足のために何かをなさってくださるのです。アー メン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、ウオ ッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版)のメッセージ 第23編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。 *当方の手違いにより、7月16日(月)分の配信が17日(火)になってしまいましたことを、 お詫び申し上げます。