新約エコノミーのため旧経綸を離れる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒21:20 ……「兄弟よ、あなたの見るとおり、ユダヤ人で信じた者が何万と いますが、みな律法に対して熱心です。(21節)ところで、彼らがあなたに関して 聞かされていることは、あなたが諸国民の間に散らされているすべてのユダヤ人 に対して、その子供たちに割礼を受けさせるなとか、慣例にしたがって歩くなと か告げて、モーセに背くように教えているということです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― モーセの律法を離れること、割礼を受けないこと、死んだ文字の慣例にしたがっ て歩まないことは、神の新約エコノミーに実際にしたがっていることです。しか し、これらは不信のユダヤ人たちによって、またキリストを信じているユダヤ人 信者たちによってさえ、神の旧約の経綸から背き去ることと見なされました。旧 約エコノミーを退けることは決して背教ではありません。むしろ、これは真理を 遂行することになります。それにもかかわらず、ヤコブと他の長老たちは、エル サレムにいる数万という信者のユダヤ人の間の状況を利用して、パウロを説得し ました。 パウロについて教えられてきた信者のユダヤ人たちは、その事実については正し かったのですが、彼らがパウロを背教と非難することは間違っていました。ガラ テヤ人への手紙の中でパウロは、律法は終わらされた、そして自分は律法に対し て死んでいる、とはっきり言っています。「わたしは神に生きるために、律法を 通して律法に死にました」(ガラテヤ2:19)。これは、パウロがもはや律法と何の 関係もなかったことを意味します。彼が律法に対して死んだことは、律法の下の 責任、律法に対する関係が終わったことを意味します。 ユダヤ人たちは、その事実については正しかったのですが、パウロが背教を教え ていると非難することによってその事実をねじ曲げたのです。背教は異端の問題 です。パウロが律法から離れたことは、背教でも異端でもありませんでした。そ れは神の新約エコノミーの真理の実行でした。しかしながら、反対者たちはその 事実を取り上げて、それをねじ曲げたのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、旧約の律法が脇に置かれ、新約エコノミーがもたらされることは、 背教ではなく、あなたの願いです。あなたを知り、あなたを受け入れ、あなたを 生きることによって、今日わたしは新約エコノミーの中にいることができること を、感謝します。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(三)」(1989年版)メッ セージ56から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。