人類は神を求めるために霊のある者に創造された ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒17:16 さて、パウロはアテネで彼らを待っていた間、町が偶像で満ちてい るのを見て、彼の霊は内側で憤った。(27節)それは、彼らに神を求めさせるため であり、また彼らが神を捜し求めさえすれば、神を見いだすことができるためで す。確かに神は、わたしたち一人一人から、遠く離れておられるのではありませ ん。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 使徒行伝第17章16節は言います、「さて、パウロはアテネで彼らを待っていた間、 町が偶像で満ちているのを見て、彼の霊は内側で憤った」。ここの「霊」は、 パウロの人の霊です(ヨブ32:8、箴20:27)。それは、神の霊によって再生され(ヨ ハネ3:6)、主のその霊によって内住されており(2テモテ4:22、ローマ8:10-11)、 その霊と共に証ししました(ローマ8:16)。パウロはそのような霊の中で神を礼拝 し、また仕えました(ヨハネ4:24、ローマ1:9)。そのような霊が、アテネにおける 多くの偶像に憤ったのです。 最高の文化でさえ、アテネにおいて人々が偶像を礼拝するのを止めることはでき ませんでした。なぜなら、彼らの内側には、すべての人類の中にあるように、人 が神を求めて礼拝するようにと、神によって創造された神を礼拝する霊があった からです。しかしながら、彼らの盲目と無知によって、彼らは間違ったものをそ の礼拝の対象としていました(23節)。今や、宇宙と彼らを創造された真の神が、 彼らの礼拝すべき真の対象を告げ知らせるために、彼の使徒を遣わされたのです。 最も文化的な都市であるアテネにおいて、なぜ偶像礼拝が優勢であったのでしょ うか? その理由は、あらゆる人類には、神を追い求め神を礼拝する霊があるか らです。もちろん、多くの人たちは真の神を求めませんし、真の神を礼拝しませ ん。かえって彼らは間違った礼拝の対象を持っています。それにもかかわらず、 人々が何かを礼拝したり、何か礼拝するものを求めたりするという事実は、人が 神を必要としている強力な証明です。人の中には、特に人の霊の中には、礼拝の 真の対象である神に対する必要があります。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしのすばらしい人の霊のゆえに、あなたに感謝します。わたし は霊の中で、真の神を礼拝し仕えることについてはっきりしています。今の世の どんな偶像をも礼拝することから、わたしを救い出してください。ただあなただ けを礼拝するよう、わたしを導いてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(三)」(1989年版)メッ セージ46から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。