キリストに関して聖書から論じる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒17:2 パウロはいつものように、彼らの所に入って行った。そして、三つの 安息日にわたって、聖書から彼らと論じ、(3節)キリストは苦しみを受けて、死人 の中から復活しなければならないことを、彼らの前に解き明かし、示して、「わ たしがあなたがたに宣べ伝えるこのイエスがキリストです」と言った。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 何についてパウロは、会堂にいる人たちと聖書から論じたのでしょうか? 神学 やモーセの律法についてでしょうか? 予表や預言についてでしょうか? いい え、彼はこれらのどんな事についても聖書から論じたのではありません。むしろ、 彼はキリストについて論じました、「キリストは苦しみを受けて、死人の中から 復活しなければならないことを、彼らの前に解き明かし、示して、『わたしがあ なたがたに宣べ伝えるこのイエスがキリストです』と言った」(使徒17:3)。 パウロはテサロニケの会堂にいた時、律法について論じたのではありませんでし た。むしろ、会堂にいる人たちと聖書からキリストについて論じました。パウロ は、キリストが苦しみを受け、死人の中から復活しなければならないことを、彼 らの前に置きました。そして彼らに言いました、「わたしがあなたがたに宣べ伝 えるこのイエスがキリストです」。 パウロはイエスの霊で構成されていましたから、この霊によって導かれ、指導さ れ、方向付けられていました。彼には、系図や預言、予表について論じる心はあ りませんでした。彼にはただ一つの負担がありました。この負担は、彼の霊的構 成によるものでした。パウロの構成は、完全にイエスの霊からでした。こういう わけで、テサロニケにおいてパウロは、すべてを含むキリスト以外の何も供給し ませんでした。多くのラビたちは、キリストについて何も見ることなく旧約を学 びました。しかしながら、パウロは聖書の中に啓示されたキリストを見ることが できました。 (明日に続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、わたしはパウロのように、イエスの霊によって構成されることを願 います。わたしを、あなたの霊によって導かれ、指導され、方向付けられる人に してください。このすべてを含むキリストをわたしに啓示し、わたしがこのすば らしい方を他の人たちに供給することができるようにしてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(三)」(1989年版)メッ セージ46から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。