命の種としてのキリストを信者たちの中にまく ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒14:22 弟子たちの魂を確立し、その信仰にとどまるよう彼らに勧め、「わ たしたちが神の王国に入るためには、多くの患難を経なければならない」と言っ た。 1ペテロ1:23 あなたがたが再生されたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない 種から、すなわち、神の生きている、存続する言によるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 神の王国は、使徒行伝における使徒たちの宣べ伝えの主題でした。それは人の目 に見える物質的な王国ではなく、神聖な命の王国です。それはキリストが命とし てご自身の信者たちへと拡大し、神がご自身の命の中で支配する一つの領域を形 づくることです。 新約によれば、神の王国とは目に見える物質的な領域ではありません。実は神の 王国とは、一人のパースン、主イエス・キリストご自身であるのです。彼は王国 についてパリサイ人に質問された時、彼らに次のように答えて言われました、 「神の王国は見える様では来ない。また人々が『見よ、ここだ!』、『あそこだ!』 と言うものでもない。なぜなら、見よ、神の王国は、あなたがたのただ中にある からだ」(ルカ17:20-21)。文脈が示しているように、神の王国は、パリサイ人た ちの間におられた救い主ご自身です。救い主がおられる所にはどこでも神の王国 があります。こういうわけで彼は、王国はパリサイ人たちの間にあると言うこと ができたのです。主の言葉が示すように、この王国は見える様では来ません。す なわち、それは霊的なものであり、物質的な目に見えるものではありません。 四福音書において、主イエスはご自身を王国の種として弟子たちの中にまきまし た。この王国の種の発展は、使徒行伝に始まり、すべての書簡で継続します。こ の発展は啓示録でその完成、すなわち刈り取りに達します。王国は、その選びの 民の心の中にまかれた種としてのキリストです。わたしたちの心は土壌であり、 その中に王国の種はまかれ、その中でこの種は発展します。これが神の王国の正 当な定義です。 (明日に続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたの王国が何か物質的なものであるという思想からわたしたを 救ってください。外側の王国ではなく、内側にあるあなたの支配する命に注意を 払うよう、わたしを助けてください。わたしの心を、あなたの王国の命が成長し 発展する場所としてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(三)」(1980年版)メッ セージ40から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。