赤い雌牛の灰――キリストの永遠の贖い(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヘブル9:12 やぎや子牛の血を通してではなく、ご自身の血を通して、一度限り 至聖所へと入り、永遠の贖いを獲得されたのです。(13節)というのは、もしやぎ と雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖別し、 肉をきよめるとしたら、(14節)まして、キリストが永遠の霊を通して、傷のない ご自身を神にささげられたその血は、なおさらわたしたちの良心をきよめて、死 んだわざから離れさせ、生ける神に仕えるようにさせないでしょうか? ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) 聖書において、灰は最終的な形を表すものです。牛でも羊でも、焼かれた後の最 後の形は灰です。灰は変化しないものであり、灰は朽ちることのないものです。 わたしたちは灰を朽ちさせることはできませんし、灰を消滅させることもできま せん。赤い雌牛が焼かれて灰になることは、主の贖いに含まれている永遠に変わ ることのない効力を予表しています。 主がわたしたちのためになされた罪の贖いのみわざは、最も信頼できるものです。 赤い雌牛の灰は、主がわたしたちのために準備された、永遠に変わることがなく、 永遠に朽ちることのない贖いを予表しています。いかなる時でも、わたしたちは それを用いることができます。もしクリスチャンが不幸にも清くないものに触れ て、汚れたとしても、彼は再び主に自分のために死んでいただくよう求めに行く 必要はありません。ただその永遠に朽ちることのない灰の効力に信頼して、命の 水を取って彼の体に注ぎかければそれでよいのです。そうすれば彼は清められま す。言い換えれば、赤い雌牛の灰がわたしたちに告げていることは、十字架とい う過去のみわざは、今日においてわたしたちが用いるためのものであるというこ とです。あるいは、十字架の効用は将来のすべての必要を含んでいると言えます。 この灰はおもに将来のものを対処するためであり、ただ一度だけ、一頭の赤い雌 牛を焼いて灰にすれば、一生涯、用いることができるのです。主に感謝します。 主イエスの贖いは、わたしたちが一生涯、用いることのできるものです。彼の死 は、わたしたちのすべての罪を取り除きました。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたがご自身の死によってわたしのために成し遂げてくださった 贖いは、とても信頼でき、変わることがなく、朽ちることのないものです。時を 含む何ものも、その効力を弱めることはできないことを、わたしは喜びます。今 日も、そして永遠にわたしは、わたしの罪を除き去るその力に信頼し、適用しま す。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) のメッセージ第21編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され ています。