キリストの達成は一度限りで永遠である(4) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ3:8 ……わたしに、この恵みが与えられたのは、キリストの計り知れな い豊富を、異邦人に福音として宣べ伝えるためであり。 ローマ10:12 ユダヤ人とギリシャ人の区別はありません。同じ主が、すべての 者の主であって、彼を呼び求めるすべての者に、彼は豊かです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全4編のうちの第4編) 今日どのように受肉、十字架刑、復活、本質上の霊の息吹き、昇天、エコノミー 上の霊の注ぎをわたしたちに適用するかを例証するために、サンドイッチを作っ て食べることを例に用いてみましょう。サンドイッチを作る時、わたしたちは二 切れのパンを取ります。それからマヨネーズを付け、ターキー、チーズ、トマト、 レタスをはさみます。そのようなサンドイッチを作るのに、わたしたちは一歩一 歩進めます。しかし、そのサンドイッチを食べる時は、まずパンを食べ、次にター キーを食べ、それからサンドイッチのその他の中味を食べるというようなことは しません。そうではなく、サンドイッチのすべての材料を一度に食べます。同じ ように、キリストの受肉、十字架刑、復活、その霊の息吹き、昇天、その霊の注 ぎの六つのものは、同時にわたしたちに適用されます。それらは一歩一歩と成し 遂げられました。しかし、それらは一度に適用されます。 サンドイッチの例証を用いると、受肉はパンであり、十字架はターキーであり、 復活、その霊の息吹き、昇天、その霊の注ぎは、その他の材料であると言っても よいでしょう。わたしたちはこのすべてを含む「サンドイッチ」を食べに来る時、 まず受肉の「パン」を「食べ」、次に十字架刑の「ターキー」を食べるのではあ りません。そうではなく、サンドイッチ全体を一度に取ります。どれが先で、ど れが最後に来るかは考えません。今やこれらの事柄はすべて主の御名の中に含ま れています。こういうわけで、主イエスの御名を呼び求める時、わたしたちはこ れらすべてのものを受けるのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたが達成されたすべてを享受することができ、わたしはとても 幸いです。わたしの日々のクリスチャンの歩みのために必要なすべてを、わたし はあなたの愛する御名を呼ぶだけで受けるのです。主よ、わたしに対するあなた の備えは全く完全であり、しかもとても簡単で実際的です。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(二)」(1988年版)メッ セージ31から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。