キリストの達成は一度限りで永遠である(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヘブル9:12 やぎや子牛の血を通してではなく、ご自身の血を通して、一度限り 至聖所へと入り、永遠の贖いを獲得されたのです。 啓示録13:8 地に住む者たちで、世の基が置かれた時からほふられていた小羊の 命の書に、名が書き記されていない者はみな、彼を拝むであろう。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全4編のうちの第1編) 受肉、十字架、復活、その霊を弟子たちの中に息吹き込むこと、昇天、その霊を 弟子たちの上に注ぐことは、すべて永遠の事です。それらは一時的な事柄ではあ りません。すなわち、それらは時間の要素に制限されません。例えば、十字架を 考えてご覧なさい。わたしたちの理解によれば、キリストは千九百年前に十字架 につけられました。しかし、啓示録第13章8節は、「世の基が置かれた時からほふ られていた小羊」について語っています。このことは、神の目にキリストは、世 の基が置かれた時から、すなわち創造された世界が存在するに至った時からほふ られていたことを示します。キリストは物質の世界が存在し始めた時から十字架 につけられました。なぜなら、彼の贖いは、創造された宇宙全体を網羅しなけれ ばならないからです。このことについて、ヘブル人への手紙第9章12節は、キリス トが永遠の贖いを達成されたことを示しています。彼の贖いは、一時的なもので はなく、永遠のものです。 仮に、永遠を象徴するのに一つの円を用いるとしましょう。そしてその円のある 箇所にキリストの十字架刑を象徴する十字架を置くとします。あなたは、円上の 十字架に関連して、アブラハムやモーセのような旧約の聖徒たちをどこに置きま すか? またどの場所に、各世紀にわたるキリストにある信者たちを置きますか?  そのような図によれば、だれが十字架の前におり、だれが十字架の後にいるか を言うのは難しいでしょう。ここでわたしたちが示そうとしている点は、十字架 が永遠であって、宇宙が存在するに至った時から、すなわち世の基が置かれた時 から始まった必要の全範囲を覆っているということです。被造物が存在するに至 って以来、キリストの死の必要がありました。こういうわけで、神の目にキリス トの死は世の基の置かれた時から始まったのです。 (月曜日に続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたの永遠の贖いが、あなたが死なれてから多くの年月が経った 後に生きているわたしにも届いたことを、わたしは喜びます。あなたの達成され た事は永遠であるので、あなたに信頼するすべての人の必要に、あなたは応じら れます。主よ、他の人たちの必要にも応じてあげてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(二)」(1988年版)メッ セージ31から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。