祈りの人となることを切望する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ15:7 あなたがたがわたしの中に住んでおり、わたしの言葉があなたがた の中に住んでいるなら、何でも望むものを求めなさい。そうすれば、それはあな たがたにかなえられる。 イザヤ59:1 見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞 こえないのではない。(2節)あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神と の仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにし たのだ。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちは、祈りの人、すなわち神の御前で力のある人になりたいという強い 願いを持つ必要があります。ある人は神の御前で力がありますが、ある人は神の 御前で力がありません。神の御前で力ある者とは、どういう意味でしょうか?  それはほかでもなく、その人が語る時、神がその人の語ることを聞かれるという ことです。それはまるで、神が喜んでその人の影響を受けられるかのようです。 ある人は確かに神に影響を与えることができます。神の御前で力がないとは、神 がその人の言葉を聞かれないということです。わたしたちは、祈りがいつも神に 聞かれるようにという願いと切望を持たなければなりません。わたしたちは神に 祈り求めて、「わたしたちがあなたの御前で求める事がことごとく、あなたが喜 んで聞いてくださるものでありますように」と言う必要があります。神があなた の言葉を聞かれることほど、栄光なことはありません。あなたが神に信頼されて おり、あなたが何を求めても神がそれを与えてくださるとすれば、これは驚くべ き事です。 かなりの時間がたっても祈りが答えられないとすれば、そこには何か妨げがある ことを、あなたは認識しなければなりません。この妨げは、良心に罪があるか、 あるいは信仰に問題があるかということから来ています。わたしたちは、神の御 前で必ず罪を告白し、罪を対処し、罪を拒み、また神の約束を真に全く信じなけ ればなりません。そうすれば、救われる人が一人一人と増し加えられ、あなたの 生活の中でずっと祈りが答えられていくでしょう。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしを祈りの人に、すなわち神に対して力を持つ人としてくださ い。わたしの祈りが妨げられることがないように、毎日罪を告白し、罪を対処す るよう、わたしを導いてください。祈りがすべて答えられるという喜びを、わた しに経験させてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) のメッセージ第19編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版され ています。