ステパノは神の栄光を見る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒7:54 人々はこれらの事を聞くと、激しく怒り、彼に向かって歯ぎしりした。 (55節)しかしステパノは、聖霊で満たされて、天を一心に見つめていると、神の 栄光と、神の右に立っておられるイエスを見た。(57節)人々は大声で叫びながら、 耳をふさぎ、いっせいに彼に殺到した。(58節)そして、彼を町の外に引きずり出 して、石打ちにした。そして証人たちは、自分の衣をサウロと呼ばれる若者の足 もとに置いた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 使徒行伝第7章55節によれば、ステパノは神の栄光を見ました。これは、迫害さ れている者にとって一つの大きな擁護であり、また励ましでした。昇天の主は、 通常、神の右に座していると言われます(マタイ26:64、ヘブル1:3, 13)。しかし、 ステパノは、主がそこで立っておられるのを見ました。これは、主がご自身の迫 害されている者を非常に気にかけておられたことを示します。 ステパノは環境を顧みませんでした。むしろ彼は、その霊に満たされて、天を一 心に見つめました。第7章2節でステパノは、栄光の神がアブラハムに現れたと言 いました。今ここでは、ステパノは神の栄光を見、またイエスが神の右に立って おられるのを見たと、述べられています。新約全体の中でも、このようなことは 一回しか起こっていません。第7章56節でステパノは、「見よ、天が開けて、人の 子が神の右に立っておられるのが見える」と言いました。地はステパノを拒み、 彼に対して閉ざされました。しかし、天は彼に向かって開きました。これは、天 が彼と共にあり、また彼のためにあったことを示します。 ここでわたしたちは、後ほど使徒となったサウロ(13:9)が、ステパノを殺害した 迫害者たちの助手であったことがわかります。サウロは、ステパノが石打ちにさ れた時に起こっていた事柄によって、深い印象を受けたに違いありません。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたの証し人に対するあなたの顧みによって、わたしはとても励 まされました。あなたがステパノに対してなされたように、わたしにも栄光の神 として現れてください。わたしの環境がどうであろうと、わたしは内側であなた を仰ぎ望み、あなたの臨在によって強められます。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(二)」(1988年版)メッ セージ21から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。