神の住まいは手によって造られるのではない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒7:48 しかし、いと高き方は、手で造られたものには住まわれません。それ は、預言者が言っているとおりです、(49節)『主は言われる、天はわたしの座で あり、地はわたしの足の足台である。あなたがたはわたしのために、どのような 家を建てるのか。また何が、わたしの安息の場所であるのか? ヨハネ4:24 神は霊であるから、彼を礼拝する者は、霊と真実の中で礼拝しなけ ればならない。 エペソ2:22 その方の中で、あなたがたもまた共に建造されて、霊の中にある神 の住まいへと至るのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神は人の手で造られたものに満足することはできませんでした。神はさらに勝っ たものを必要とされました。48節から50節において、ステパノは続けて言いまし た、「しかし、いと高き方は、手で造られたものには住まわれません。それは、 預言者が言っているとおりです、『主は言われる、天はわたしの座であり、地は わたしの足の足台である。あなたがたはわたしのために、どのような家を建てる のか。また何が、わたしの安息の場所であるのか?』」。 48節でステパノは、いと高き方は手で造られたものには住まわれないと言います。 これが意味することは、神が旧約の物質の宮を放棄して、新しい経綸を開始され たということです。それは、神の民が霊の中で神を礼拝するためです(ヨハネ 4:24)。この霊の中に、神の霊なる住まい、すなわち教会があるのです(エペソ 2:22)。 第7章49節の言葉が示していることは、主が人の霊の中に、霊なる住まいを求め ておられたということです。これは、イザヤ書第66章1節から2節の次のような引 用によって証明されます、「しかし、わたしが顧みる人はこれである。すなわち、 貧しくまた霊が深く悔いている人である」(原文)。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしの人の霊があなたの住まいであり、礼拝する場所そのもので あるゆえ、わたしはとてもうれしいです。主よ、この事についてのわたしの古い 観念から、わたしを自由にしてください。そして、わたしに正しい展望を与えて くださり、わたしが霊の中で他の人たちと建造されることができるようにしてく ださい。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(二)」(1980年版)メッ セージ21から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。