神と人が混ざり合わされて相互の住まいを生み出す ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ1:14 そして言は肉体と成って、わたしたちの間に幕屋を張られた。…… ヨハネ14:23 イエスは彼に答えて言われた、「だれでもわたしを愛する者は、 わたしの言を守る。そしてわたしの父は彼を愛され、わたしたちは彼の所へ行っ て、彼と共に住まいを造る」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) ヨハネによる福音書第1章14節は受肉に言及しています。言、それは神ですが(ヨ ハネ1:1)、肉体と成って、わたしたちの間に幕屋を張られました。この節の「幕 屋を張られた」という言葉は、その意味が豊富です。それは、受肉された方がま さに神と人との混ざり合いであることを象徴しています。この混ざり合いは神の 幕屋であり、そこに神が住むことができるのです。なおまた、この幕屋において 神の選びの民は神に仕え、また神と共にとどまることができるのです。こういう わけで、ヨハネによる福音書第1章14節においてわたしたちは、受肉における神と 人との混ざり合いが、神の幕屋、すなわち神の住まいとなることを見ます。 ヨハネによる福音書第14章23節でわたしたちは、御子と御父が主イエスを愛する 者の所に来られて、その者と共に住まいを造ることを見ます。それから、ヨハネ による福音書第15章4節で主は、彼がわたしたちの住まい、すなわちわたしたちの 住む場所となること、そしてわたしたちが彼の住まいとなる必要があることを、 示します。主は次のように言っておられるようです、「わたしの中に住みなさい。 そうすれば、わたしがあなたの中に住みます。わたしの住まいとなりなさい。そ うすれば、わたしがあなたの住まいとなります」。ここに、相互の住まいのため の神と人との混ざり合いがあります。 神をわたしたちの住まいとして持つという思想は、旧約の中に見いだされます。 例えば、申命記第33章27節は言います、「昔よりの神は、住む家」(新改訳)。 詩篇第90篇1節でモーセは言います、「主よ。あなたは世々にわたって、私たちの 住まいです」(新改訳)。新約聖書は、一つの宇宙的な建造物があること、そし てこの建造物は神と神の選びの民との相互の建造であることを、明白に啓示して います。実は、この住まいはわたしたちの住まいとしての神であり、神の住まい としてのわたしたちです。このすばらしい住まいが神の建造です。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたを愛します。あなたがわたしをあなたの住まいの一部として くださり、またあなたご自身をわたしの住まいとしてくださることで、わたしは とても幸いです。わたしの日常生活の中で、この事の実際的な経験を増し加えて ください。あなたの建造の働きが前進するように、わたしは祈ります。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1988年版)メッ セージ15から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。