石・救い主 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒4:10 あなたがた一同も、イスラエルのすべての民も知っていただきたい。 あなたがたが十字架につけ、神が死人の中から復活させたナザレ人イエス・キリ ストの御名の中で、その中で、この人が、あなたがたの前に健やかになって立っ ているのです。(11節)この方は、あなたがた、家を建てる者たちに捨てられ、隅 のかしらになった石です。(12節)この方のほかに、救いはありません.。わたした ちが救われるべき名は、この名のほか、天下のだれにも与えられていないからで す。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) ペテロとヨハネが、何の力によって、またはどの名の中で足のなえた人をいやし たのかと尋問された時、ペテロはいやし主としてのキリストについてさらに言う 機会を得ました。第3章で彼は、このいやし主を六つの面で提示しました。すなわ ち、神のしもべ、聖なる方、義なる方、命の創始者、預言者、地のすべての家族 が祝福される種です。いやし主のこれらすべての面は、わたしたちの益のためで す。しかし、第4章でペテロは、いやし主の特に神のためである面を提示します。 すなわちペテロは、神の建造のための石としてのキリストを提示します。 使徒行伝第4章12節は、しばしば福音の宣べ伝えにおいて用いられます。しかし、 あなたはそれが11節との関連で用いられているのを聞いたことがありますか?  これらの節は、11節の石が救い主であることを示します。家造りたちによって軽 んじられた石は、隅のかしら石となりました。そして他のどんな名にも救いはな いのです。わたしたちはイエスの御名の中でのみ救われ得ます。そしてイエスは 石です。これは、わたしたちが石・救い主を持っていることを意味します。四福 音書において、マタイには王・救い主、マルコには奴隷・救い主、ルカには人・ 救い主、ヨハネには神・救い主がおられます。今や使徒行伝には石・救い主がお られます。わたしたちの救い主は、王、奴隷、人、神であるだけでなく、彼は神 の建造のための石でもあります。 (明日へ続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたご自身を神の建造のための石として啓示してくださり感謝し ます。わたしは究極的にはこのような建造のために、また神の満足のために救わ れたことを、わたしに日ごとに思い起こさせてください。あなたを石・救い主と して知り、経験することができるよう、わたしを導いてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1988年版)メッ セージ15から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。