使徒たちの交わり(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒行伝2:42 そして、彼らはひたすら使徒たちの教えと交わりを持ち続け、パ ンをさくことと祈りを持ち続けた。 1ヨハネ1:3 わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも伝えます。 それは、あなたがたもわたしたちと交わりを持つためです。わたしたちの交わり とは、御父との、また御子イエス・キリストとの交わりのことです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) ちょうど使徒たちの教えが唯一であるように、使徒たちの交わりも唯一です。こ の事からわたしたちは、すべてのクリスチャンは一つの交わり、唯一の交わりを 持つべきであることがわかります。それは使徒たちの交わりです。この交わりは ヨハネの第一の手紙第1章3節に述べられています。ギリシャ語で交わりはコイノ ニアであり、それは共同であずかること、共にあずかることを意味します。それ は永遠の命の結果です。また実はそれは、神聖な命を受け、今も所有しているす べての信者たちの内側にある永遠の命の流れです。 ですから、使徒行伝第2章42節に示されているように、すべての真の信者たちは この交わりの中にあります。それは、わたしたちの再生された霊の中にあるその 霊によって遂行されます。ですから、それは「聖霊の交わり」(2コリント13:14)、 また「(わたしたちの)霊の交わり」(ピリピ2:1)と呼ばれます。わたしたち信者が、 御父と御子が何であられるかのすべてと、わたしたちのために成し遂げてくださ ったすべてとにあずかるのは、永遠の命のこの交わりにおいてです。すなわち、 わたしたちは御父の愛と御子の恵みを、その霊の交わりという美徳によって享受 するのです(2コリント13:14)。 そのような交わりはまず、その霊を通して御父と御子を享受することにおける使 徒たちの分け前でした。こういうわけでそれは、「使徒たちの交わり」、またヨ ハネの第一の手紙第1章3節で「わたしたち(使徒たち)のものである交わり」、御 父と御子イエス・キリストとの交わりと呼ばれているのです。この交わりは神聖 な奥義です。 (明日に続く) ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主よ、神聖な命がさらにわたしをこの唯一の交わりの中へともたらす時、わたし の中で働いてください。わたしは、すべての信者と共にこのような交わりにあず かることができるのを喜びます。主イエスよ、この交わりをわたしの分け前とし てください。そして、わたしがその霊を通して御父と共にあなたを享受すること ができるようにしてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1988年版)メッ セージ12から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。 *当方の事情により送信が遅れましたことをお詫び申し上げます。