神は義である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ1:29 彼らはあらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ちており、また、ね たみ、殺意、争い、欺き、憎悪に満ち、(30節)告げ口する者、陰口を言う者、神 を憎む者、不遜な者、傲慢な者、誇る者、悪事をたくらむ者……。(32節)このよ うな事を行なう者が死に値するという神の義なる裁きを、彼らは十分に知ってい ながら……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神は義なる神です。ですから、神はとって人を罪定めすることは容易ですが、人 を赦すことは容易ではありません。もし一人のとても義なる人が、だれかが罪を 犯すのを見たと仮定します。この人は、罪を犯した人を義にしたがって裁くこと は容易でしょうが、彼を赦すことは容易ではありません。罪を犯す人は滅びます。 これは直ちに、神の性質と義を明らかに示します。しかし、神が罪人を赦し、そ れと同時にご自身の性質と義を現すことは、さらに困難なことです。 神がわたしたちのために救いを用意される時、神は大きな問題に直面されたこと を覚えておかなければなりません。神は一方で人の罪を赦したいのです。しかし 他方では、それを行なうには、ご自身の性質に合致する方法で行なわなければな りません。これは神にとって非常に面倒なことになります。もし神が義にしたが って行動する必要がないなら、事はとても簡単であったでしょう。彼はただ赦し さえすればよかったのです。わたしたちは罪を犯したので、滅びるのは当然です。 神はわたしたちを救いたいと願っています。しかし、神と不義は無縁です。わた したちがこれら四つの事柄を一つにまとめようとすれば、それは大きな問題を提 起します。神はわたしたちを救いたいのですが、彼の義の水準を下げることはで きません。一方で、神はわたしたちを救いたいのです。他方で、神は救いを義な る方法で行なわなければなりません。一方で、神はわたしたちにあわれみを持ち たいのですが、他方で、神はわたしたちの罪を裁かなければなりません。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父よ、あなたが義なる神であられるゆえに、あなたを賛美します。あなたがわた しを赦し救うために、あなたの標準を下げ、安易な方法を取ることをなさらなか ったゆえに、あなたに感謝します。あなたはすべての事において、あなたの性質 と義を現されました。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第36巻「中心的なメッセージ」(1998年版)の「キリスト はわたしたちの義である」メッセージ第1編から引用されています。いずれも日本 福音書房から出版されています。