バプテスマの意義(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マルコ16:16 信じてバプテスマされる者は救われる……。 ローマ6:4 こういうわけで、わたしたちは彼の死の中へとバプテスマされるこ とを通して、彼と共に葬られたのです。それは、キリストが父の栄光を通して死 人の中から復活させられたように、わたしたちも命の新しさの中を歩くためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) 信じることは、主を受け入れることです(1ヨハネ1:12)。それは単に罪の赦し のためだけではなく(使徒10:43)、再生のためでもあります(1ペテロ1:21,23)。 それは信じる者たちが三一の神との有機的な結合の中で(マタイ28:19)、神の子た ちとなり(ヨハネ1:12-13)、またキリストの肢体(エペソ5:30)となるためです。 バプテスマされることは、このことを確認することです。それは、キリストの死 を通して旧創造を終結させるために葬られることによってであり、またキリスト の復活を通して神の新創造となるために復活させられることによってです。その ようなバプテスマは、ヨハネによる悔い改めのバプテスマよりはるかに進んだも のです(マルコ1:4、使徒19:3-5)。 信じることとそのようにバプテスマされることは、神の全き救いを受けるための 一つの完全な段階の二つの部分です。信じることなしにバプテスマすることは、 単にむなしい儀式にすぎません。信じてもバプテスマされないなら、内側で救わ れるだけで、外側の確証がありません。これら両者は同行すべきものです。さら に、水のバプテスマには霊のバプテスマが伴うべきです。それはイスラエルの子 たちが、海(水)の中と雲(その霊)の中でバプテスマされたようにです(1コリント 10:2、12:13)。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、あなたに感謝します。バプテスマは、わたしを旧創造から解放し、 あなたの御名の中へと信じることのすべての祝福を享受できるようにしてくださ います。主よ、わたしは全き救いを願います。わたしが命の新しさの中を歩くこ とによってバプテスマを生かし出すことができるようにしてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1980年版)メッ セージ11から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。