辛抱強く祈る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒1:12 それから、彼らはオリブと呼ばれる山からエルサレムに戻った。 ……(13節)彼らは都に入ると、泊まっていた上の部屋に上った。……(14節)これ らの人はみな、婦人たち、イエスの母マリヤ、イエスの兄弟たちと共に、一つ心 でひたすら祈り続けていた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主が死なれる前、弟子たちは霊的な事柄のために祈ることに何の関心も持ちませ んでした(ルカ22:40、45-46)。むしろ、彼らはだれが一番偉いか、互いに論争し ていました。しかし今や、主の復活と昇天の後、彼らの霊的状態は根本的に変わ りました。彼らは互いに論争せず、エコノミー的に注ぎ出された力の霊を受けた ペンテコステの日の前でさえ、一つ心で辛抱強く祈る負担を持ちました。これは、 彼らが主の復活の日に(ヨハネ20:22)内住する命の霊を本質的に受けていたことの 強力なしるし、証拠です。 百二十名が十日間、一つ心で祈るということは、一つの大きな事でした。彼らが そのような長い時間、一つ心で祈ることができたのは、彼らが内側に命また人位 としてのキリストを持っていたからです。なおまた、彼らはエルサレムにとどま っているガリラヤ人であり、イエスに従う者たちを迫害していたユダヤ人の脅か しの下にありました。それにもかかわらず、彼らはユダヤ人の脅かしを恐れず、 エルサレムにとどまって一つ心で祈りました。これは確かに、人の努力によって はなし得ないことでした。彼らは古い存在から新しい存在へと本質的に移されて いたのです。彼らはこの転換の結果として、彼らの命また人位としてのキリスト を持っていたので、一つ心で祈ることができ、迫害を恐れなかったのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、命の霊としてわたしの内に住んでくださることを感謝します。今や わたしは、あなたをわたしの命と人位として取ることによって、他の人たちと共 に辛抱強く祈り、彼らと一つになることができます。あなたの弟子たちが経験し たのと同じ一つ心に、わたしをもたらしてください。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1988年版)メッ セージ5 から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。