その霊の二つの面:命と力 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ24:49 見よ、わたしはわたしの父が約束されたものを、あなたがたの上に 送る。ただ、あなたがたは、高い所から力を着せられるまで、都にとどまってい なさい。 使徒1:4 ……エルサレムを離れないで、わたしから聞いていた父の約束を待っ ていなさい。 2:1 さて、ペンテコステの日が満ちた時……(2節)すると突然、激しい風が吹い てきたように、天から音が聞こえ、彼らが座っていた家中を満たした。(4節)する と、彼らはみな聖霊で満たされ……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― こことルカによる福音書第24章49節の約束は、ヨハネによる福音書第14章17節の 約束とは異なります。使徒行伝第1章4節とルカによる福音書第24章49節の約束は、 ヨエル書第2章28節から29節の約束であり、ペンテコステの日に成就しましたが (使徒2:1-4、16-18)、それは信者たちの務めのために、上からの力として、エコ ノミー的に注ぐためでした。これは命の霊とは異なっています。命の霊は、復活 の日に、復活した救い主によって、主が内住するために、弟子たちの中に息吹き 込まれました(ヨハネ20:22)。それは、主が彼らにとって本質的に命となるためで した。ヨハネによる福音書第14章17節での主の約束は、主の復活の日に成就され ました。その時、その霊は命の息として弟子たちの中に息吹き込まれました。し かしながら、ルカによる福音書第24章49節と使徒行伝第1章4節の父の約束は、四 十日後のペンテコステの日に成就されました。その時、その霊は激しい風として 弟子たちの上に吹きつけました。 命の霊については、わたしたちは彼を息として吸い込む必要があります。力の霊 については、わたしたちはエリヤの外とうによって予表されているように(列王下 2:9、13-15)、彼を制服として着る必要があります。これらは、わたしたちの経験 のための一つ霊の二つの面です。命の霊の内住は、本質的なものであり、わたし たちの命と生活のためです。力の霊の注ぎは、エコノミー的なものであり、わた したちの務めと働きのためです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたは、わたしがこの地上で実際的で実行的な生活のために必要 とするすべてです。すばらしいことに、わたしは命の息としてあなたを内に取り 入れ、外側の力の衣としてあなたを着ることができます。あなたはわたしの必要 すべてを満たしてくださいます。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・使徒たちの行動(一)」(1980年版)メッ セージ4から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。