キリストは命である(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、実際(真理)であり、 命である……」。 コロサイ3:4 わたしたちの命なるキリストが現される時、あなたがたも、彼と 共に栄光のうちに現されます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) わたしたちは、何が命であるかを認識するという学課を学ばなければなりません。 命は、どんな興奮の中にも、どんな思想の中にもなく、ただ主がご自身を現し出 すかどうかにあります。わたしたちは必ず主を認識しなければなりません。どん なことも、主を知ることとは比べものになりません。わたしたちが主を知るなら、 そこで命に触れるのです。興奮している人たちや、聡明な人たちが、必ずしも主 を認識している人たちではありません。 兄弟姉妹よ、わたしたちは覚えておかなければなりませんが、神はわたしたちに 個々のものを与えられるのではありません。神はわたしたちにご自身の御子を与 えられたのです。こういうわけで、わたしたちはいつも頭を上げて主を仰ぎ望み、 そして次のように言うべきです、「主よ、あなたはわたしの道であり、わたしの 真理であり、わたしの命です。主よ、わたしは、あなたに属する何かとかかわり を持つのではなく、あなただけとかかわりを持たなければなりません」。しかし、 何とわたしたちは容易に、道、真理、命を別々のものにしてしまうことでしょう。 わたしたちは熱っぽい雰囲気を、明晰な論理を、豊かな情感を、外側の行ないを、 命としてしまいます。実は、これらはいずれも命ではありません。わたしたちは、 主が命であることを認識しなければなりません。キリストはわたしたちの命です。 わたしたちからこの命を生かし出すのは、主です。どうか主がわたしたちを、断 片的で外面的なものから救い出してくださり、主ご自身に触れさせてくださいま すように。どうかわたしたちがすべての事の上で主を見ますように。また、道、 真理、命は、わたしたちが主を認識することであることを、わたしたちが見ます ように。どうか主がわたしたちの目を開いてくださいますように。どうかわたし たちが多くの外面的なものから救い出されて、神の御子を見ますように。どうか わたしたちが彼の中で生き、彼がわたしたちの中で生きられますように。アーメ ン! ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたこそが命であって、他の多くのものは命でないことをわたし に見せてくださり、感謝します。わたしはあなたをわたしの命として認識するこ とを願います。また、他の人たちも真にあなたを認識し、他の事柄をあなたと取 り違えることがないようにと祈ります。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第36巻「中心的なメッセージ」(1998年版)の「キリスト は道、真理、命である」第1編から引用されています。いずれも日本福音書房から 出版されています。