キリストは真理である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、実際(真理)であり、 命である。わたしを通してでなければ、だれも父に来ることはない。 ヨハネ1:17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと実際(真理)はイエス・ キリストを通して来たからである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 真理とはまさにキリストご自身です。真理とはキリストに関する言葉ではありま せん。真理とはキリストについての教理ではありません。それはまさにキリスト ご自身です。人は、共に十字架で死ぬという教理を語ることはできますが、他の 人は十字架の死の力を彼らの内に見ることがありません。人は、何を復活の命と 言うかについて語ることはできますが、他の人は彼らの内に復活の力を見ること がありません。わたしたちの語るのが教理にすぎないとしたら、そこには死んだ ものがあるだけで、生きているものはありません。 兄弟姉妹よ、もしわたしたちが内に生きておられる主を持たず、わたしたちの真 理である方が主でないとしたら、わたしたちの振る舞いを導く教えは、死んだわ ざにほかなりません。それは命ではなく、生きたものでもありません。あなたは この区別を見られたでしょうか? この区別はあまりにも大きく甚大です。わた したちが命から何かを語る時(謝罪の言葉のことを言っています)、わたしたちは それを言わなければいけないと覚えているからそう言うのではありません。内側 にある力が動機づけて、わたしたちに語らせるのです。主がわたしたちを支配し ておられます。教理が監督したり、支配したりしているのではないのです。主が わたしたちの目を開き、霊的な実際がキリストから分離したものではないことを 見せてくださる日がやって来ます。わたしたちは他の人に幾らかの教理を提供す るのではなく、人々をキリストご自身に導くのです。わたしたちは、教理を記憶 してそれにしたがって振る舞う必要はありません。そうではなく、キリストがわ たしたちの中に生きられ、キリストがわたしたちの真理となられるのです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 主イエスよ、あなたは霊的な実際です。単なる教理と、あなたを真理として知る こととの違いを、わたしに見せてください。教えを学ぶことは、わたしにとって とても易しいです。しかしわたしは、自分を動機づけ、導く実際が欠けているこ とを告白します。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第36巻「中心的なメッセージ」(1998年版)メッセージ第 1編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。