道、真理、命 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ14:6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、実際であり、命であ る。わたしを通してでなければ、だれも父に来ることはない」。 1ヨハネ5:12 御子を持つ者は命を持っています。神の御子を持たない者は命を 持っていません。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― キリストはわたしたちの道であり、真理であり、命です。キリストを通して、わ たしたちは御父に行くことができます。神の目に、神とかかわりのあるものはす べてキリスト、神の御子です。神がわたしたちに与えてくださったのはただキリ ストであって、キリスト以外の何ものでもありません。多くの時、霊的な事の上 でわたしたちが見るのは一つの事柄にすぎず、わたしたちが触れるのは一つの物 にすぎません。それは単なる名称や文字であって、何の霊的価値もありません。 どうか主がわたしたちの目を開いて、神の御子を認識させてくださいますように。 キリスト教の特徴、その源、その深みと豊かさすべては、神の御子を認識するこ とにあります。それはわたしたちがどれだけ方法や教理を知っているか、あるい はどれだけの力量があるかにはよりません。それはわたしたちがどれだけ神の御 子を知っているかによります。神の御子を認識すれば、道があり、真理があり、 命があります。わたしたちの力は、神の御子を認識することにあります。神がわ たしたちに与えてくださったのは神の御子であって、それ以外のどんなものでも ありません。ですから、問題の核心は、神の御子を認識することにあるのです。 この道は、キリスト以外の何かの方法ではなく、ただキリストご自身です。わた したちは次のことを見る必要があります。すなわち、わたしたちはただ救われた 時に主イエスを通して神に来なければならないだけでなく、主イエスは依然とし てわたしたちが毎回神に来るための道であるということです。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、わたしはあなたの御子を知りたいです。わたしはあなたの御子を道 として、真理として、命として認識したいです。わたしは単なるクリスチャンの 持っている事物や、クリスチャンの教えは欲しくありません。わたしは、あなた の御子イエスを認識し、享受し、所有したいです。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第36巻「中心的なメッセージ(一)」(1998年版)から引 用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。