神はわたしたちを買われたが、わたしたちを強制されない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント6:20 なぜなら、あなたがたは代価をもって買い取られたからです。 ですから、あなたがたの体において、神の栄光を現しなさい。 2コリント5:15 そして、彼がすべてのために死なれたのは、生きている者が、 もはや自分自身にではなく、彼らのために死んで復活させられた方に生きるため です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちは神によって買い取られ、神に属するものになりました。それにもか かわらず、神はわたしたちを自由にしてくださいます。神の主権に関する限り、 また贖いに関する限り、わたしたちは神に属します。しかし、神はわたしたちに 何かをするよう強制することはされません。もしわたしたちがマモン(金銭)に仕 えたいのであれば、神はそうさせます。もしわたしたちがこの世に仕えたいので あれば、神はわたしたちをとどめません。神は動かれません。神は、ある日わた したちが、「神よ、わたしがあなたの奴隷であるのは、あなたがわたしを買い取 ってくださったからだけでなく、わたしが進んであなたの奴隷になりたいからで もあります」と言うまで待たれるのです。 ですから、知らないうちに神のしもべとなる人などいません。わたしたちは自分 自身をささげなければならず、そうしてはじめて彼の奴隷となることができます。 この献身は、わたしたち自身が進んで選択する問題です。神がわたしたちに強制 することはありません。神は、わたしたちが進んで自分自身を神にささげること を望まれます。 わたしたちは救われた時、自然に自分自身をささげる願いを持ちました。わたし たちが受けた命は、わたしたちに自分自身をささげさせます。救われた人はすべ て、主のために生きるべきであるという感覚を持ちますが、そうするための力が ありません。多くの事柄が、わなとなり妨げとなって、主のために生きることが できないようにさせます。しかし、神に感謝します。神はわたしたちにキリスト を与えてくださり、わたしたちが自分自身を神にささげることができるようにし てくださいました。わたしたちは罪の中で死んでいた時、自分自身を神にささげ ることができませんでした。もしわたしたちが救われた後も罪の中に生き続ける なら、わたしたちはやはり神に自分自身をささげることはできません。しかし、 キリストがわたしたちの命と聖になってくださったので、わたしたちは進んで自 分自身を神にささげることができます。 ――――――――――――――――祈り――――――――――――――――― 父なる神よ、あなたはわたしを最高の代価をもって買い取ってくださったのに、 それでもわたしの自由意志を尊んでくださいます。わたしがあなたを愛し、あな たに仕えるかどうかを、あなたはやはりわたしに決めさせてくださいます。わた しはあなたの愛を知っているので、自分自身をあなたにささげる願いを持ちます。 アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1999年版)メッセージ第11編か ら引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。