心(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1テサロニケ5:23 そして平和の神ご自身が、あなたがたを徹底的に聖別し、あ なたがたの霊と魂と体とを完全に守って……。 ヘブル4:12 なぜなら、神の言は生きていて活動しており……心の思いと意図を 識別することができるからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 聖書は、人としてのわたしたちには、わたしたちの身体という外側の肢体のほか に、内側の諸部分があると告げています。その内側の諸部分とは、わたしたちの 内なる存在の諸部分です。聖書によれば人は、霊、魂、体で構成されています。 わたしたちの物質的な存在である体は目に見えます。これはわたしたちの外側の 存在です。しかし、霊と魂というわたしたちの内なる存在は目に見えません。魂 は、思い、感情、意志を含みます。わたしたちの存在のこれら内側のすべての部 分に加えて、聖書はまた心と良心についても語っています。聖書は真の心理学を 取り扱っている本であると言ってもいいでしょう。なぜなら、それは人の内側の 七つの部分、すなわち、霊、魂、心、思い、意志、感情、良心を、完全に取り扱 っているからです。これら内側の諸部分は、わたしたちの内なる存在の構成要素 です。 わたしたちは今までに何度も指摘してきましたが、わたしたちの心というのは、 わたしたちの魂の諸部分すべてである思い、感情、意志と、わたしたちの霊の一 部分である良心とから構成されています。わたしたちの魂は、わたしたちの人格、 わたしたちという人、わたしたちの自己です。心理学という英語は、魂に当たる ギリシャ語のプシュケーに由来します。魂は、心理学上のすべての事柄の基礎で す。プシュケー、すなわち魂は、「わたし」です。それは、人としてのわたした ちの存在、すなわちわたしたちの人格を示します。人としてわたしたちは、目に 見える物質の世界に接触するための外側の器官、体を持っています。わたしたち はまた、神と霊的領域に接触するための内側の器官、霊を持っています。これら 二つの器官の中間に位置する魂は、わたしたちという人、わたしたちの自己です。 (明日へ続く) ―――――――――――――――祈り―――――――――――――――――― 主イエスよ、わたしをこのようにすばらしく造ってくださったことを感謝します!  わたしの内側の諸部分すべての機能によって、わたしは愛の中であなたを享受し 経験することができます。主よ、わたしは特に自分の霊を宝とします。わたしの 霊を用いて、わたしは瞬間ごとにあなたに触れることができるのです。アーメン。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・テサロニケ人への第一の手紙(二)」 (1980年版)メッセージ21から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。